自分を辿る旅
「高句麗の旅」のご案内を見て、何が何でも行かなきゃと胸が逸りました。なぜかはわかりません。行けば何かがわかると感じたのです。高句麗の映像、先生の音、高麗さんの即興詩が、高麗屋さんの空間と溶け込む時、もはや高句麗は今までの高句麗とは違っていました。数えきれない程、「高句麗伝説」にも参加させていただきました。でもそれは、胸が揺さぶられてもどこか一つにはなり切れないものがあったのだと、今日初めて気づきました。それほど、今日の「高句麗の旅」は自分を辿る旅でした。ラフォーレで数えきれない程、先生が開催してくださった「精神の源を辿る旅」と重なりました。高句麗は、異国の地ではなく私の内にありました。「天女哀歌」の冒頭に出てくる赤いケイトウの花に、ミツバチが盛んに動く姿に感動しました。自然は無心であり、静寂でありながら豊かだと気づかされました。普段の生活で数限りなく繰り広げられている自然の行いを、私はどれだけ取りこぼして生きていたのかと、ひたすら映像を見つめていました。不思議ですが、先生の音があるのに、高麗さんの即興詩が聴こえるのに静寂でした。自分の内へ内へと奥深く辿る旅でした。これが高句麗なのかと、初めてその入り口に立てた気がします。あらゆるものを乗り越えて吹く風が、吹き続けていました。「先に行け」と伝える風です。上映が終った後、言葉になるのだろうかと頭を過りました。私の知っている言葉では表せないと感じた程、奥深かったからです。ですが、そんなことは余計なことでした。頭はうるさいです。心模様の真っ白なノートを広げると、言葉は自ずと生まれます。高麗屋さんは、やっぱりすごい場です。本来の自分がそのまま表れます。地下では高麗さんを中心に、新作の作品を前にして大賑わいの笑い声が絶えません。一人一人の輝く笑顔が美しく、当たり前ですが誰一人同じ人はいなく、比較することは何一つないのです。屈託なく居られる場は幸せです。その場が特別な場ではなく当たり前に在る場創りをしようと、今まで以上に強い気持ちが生まれました。気持ちのまま参加を決めてよかったです。ありがとうございます。
