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自分をどかしたら


狛江でのコンサートメッセージ2部の「自分で作った自分の姿に、知らないうちに縛られていることがあります。その姿が少し消えると今まで見えなかった人が見え、聞こえなかった声が聞こえます」はこの経験かと感じることができました。自分で作った自分の姿に縛られ、不自由となっていることは重々感じ、苦しみを感じています。「私という人物像を少しどかし、剥がしましょう」と自分に言った時、自分がどいていきました。正確にはコンサートの時にどいていたのだと感じます。コンサートの一席に身を置かせていただくということはメッセージをそのまま経験させていただいているのだということを身をもってわかる瞬間がありました。辛く苦しい時、自分がという意識が強いから苦しいということはわかってきました。自分で作った自分がどくと、同じことをしても辛さがなくなってきました。コンサートの時に本当にどかしてくれたのだと見えるようにわかりました。自分がなくなってきたら、おおいなる存在とつながる生命を感じ、内面は全体とひとつになっていくのです。「風の便り」を聞く時も、外へ出てふと風に吹くかれた瞬間にも、生命ひとつであること、魂は寄り添い応援してくれていることを伝えてくれます。こんなにたくさんのはたらきが応援してくれているのにそれを追い払うように生きていることはできないです。毎日手がかりはありませんが、目の前のことを一生懸命することにしています。日に日に真の自分を受け止め、あらわる時が近づいていることを感じています。いつも惚けていたり、隠している感覚はありながらも何を隠しているのか惚けているのかはわからずにいました。先生が高句麗の祭りのこと、朱蒙様のことをお話くださるにつれ、もう逃げも隠れもできなくなったと感じていく感覚があり、覚悟を決めるように過ごしています。狛江のコンサートの時に生きるか死ぬかの瀬戸際にあると見えたことが脳裏に鮮明に焼き付いています。今日も高麗屋に集う方が、今までの日常がずっと続くと思って生きているので惚けていられたけれど生きるか死ぬかになったらとぼけている間はないとお話しされていました。手がかりはなく、不安を感じている方は多いです。先生が手がかりはなくていい、なければ生まれるとおっしゃってくださったことを皆様にお伝えしていますので私をはじめそのことを手がかりにしているのです。大きな変わり目を迎えています。今は自分をどかし、全体とひとつの生命感覚をわかる時が生きていけると感じる瞬間です。先生のお話の中で高句麗人はすぐ動きどんどんやっていくとお話しくださったことが今の私には励みとなっています。すぐ動いていいなら苦はありません。優秀な高句麗人であることを取り戻していくことが励みとなっています。わからないふりや見えていないふりをしていることは虚しいです。やらない言い訳をしているようなものです。これからは真よりないとよくわかります。真に出会い真あらわる先生のコンサートがあるので生きていけると感じています。今日も皆様のお話を伺い、明日のコンサートを抜け出し口と感じない人はいないと感じました。そして心待ちにしない人もいないと感じました。無事に集えますことを願いお待ちしています。ありがとうございます。

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