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脱「頽落」


 行く春ならぬ、もう初夏の山歩きを、昨日、知人と楽しんだ。木陰の風はひんやりとして気持ち良く、尾根筋の山ツツジ(コバノミツバツツジ)の薄紫の輝きは、異次元の存在に巡り会えそうだ。

  山ツツジ もう一つの道 黙示する
 
 朝井リョウの『正欲』を再読したら、ハイディガーの言う「世人」の「頽落」ぶりを、登場人物とその周囲の人びとに寄せて鋭く批判していて、おもしろかった。「多様性って言いながら、一つの方向に導こうとする。」という主人公の一人諸橋大也のセリフが耳に残っている。ちょうど、戸谷広志さんの『まんが・ハイディガー存在と時間』も読んでいたので、作者の意図とは違う読み方もできた。
世人について、その「頽落」ぶりについて、マンガ本の解説は明瞭だ。
  1世間話(みんなと同じように考え、語る。)
  2好奇心(みんなの関心に振り回される。)
  3曖昧さ(みんなに同調するばかりで、自分を語らない。)
 要は、ここから「良心の呼び声」を「決意性」で聴き、「本来的な生き方」へ向わなければならないのだが……。小説は、「繋がり」を創っていくことで、乗り越えていこうというところまでで終わっている。(わたし自身は、「性欲」だけで人間存在を語ろうとするから無理があると、やや批判的である。)
 さらに、『罪と罰』も再読中なのだが、「凡人」ではなく、「新しい人間」を自覚するラスコーニコフが、「良心にしたがった殺人」を決意するのだからたまらない。1865年の発表から、1927年のハイディガーまで、そしてまた百年がたち、思想と哲学の大波に見舞われているわけだ。

 で、いまのわたしは? こうして自分の気持ちを書き表わし、不安や焦りを抑え、本音を聴き、「自主・自立・自由」の決意を行動に移そうとするばかりである。昨日の山歩きの中で出会った「コバノミツバツツジ」は、その心を支えてくれた。(4/14)

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