KEIKO KOMA Webサロン

綿帽子の盛岡にて


雪の降る中始まった応用コースは「静か」でした。質問がなかなかし辛いのは人目を気にする嫌らしい根拠からです。しかしながら、重苦しい身体に敢えてエネルギーを使うことを拒む気だるさもありました。後からこの状態が気持ちが悪いことだったと振り返り、またこれも表現を潰していることとも気づき「しまった」と感じるところです。一昨夜の演奏中に自分はおかしな感覚に陥りました。会場の隣に全く同じコンサート会場があり、私も含め、人も同じくそこにあります。しかし、そこの世界では戦争も病気もネガティブなものは一切なく、そして人は楽しいも悲しいもなく淡々とそこに在り、時間もこちらと同時にありました。随分昔に話題となった『ソフィーの世界』のようです。また、今こちら側がすべて作り物で、人も本物そっくりの人形のような、アニメの中の人間のように映る感覚となってしまい、本当に生きているのか、リアルなのかと今だ残るところがあります。そんな中での昨夜のビデオ講演会で「生命しびれる」という表現がとても新鮮で、生きている言葉として飛び込んでき、またマーブリング作品も唯一のリアルな世界に感じられました。新しい生きている言葉を自分の生命は生みたいのだと捉え、それが生きている、またリアルなのだと至ります。しかし見えるものすべてが架空と感じられたりもすることが、自分はどこにいるのか、架空が瞬間に消えたらと何か怖く、気が触れたのかとも思われたりしておりました。また、一昨夜の書き込みでは、コンサートメッセージを見直すこともせず怠慢でありました。ただ第一部での「存在者」は身につまされるほどに自分の状態と一致し、自分で行ったある出来事から仮面を被り押し殺した状態を言い当てられたと項垂れました。行き着くところは「表現」であります。存分に自分の内を表現出来ていないからであります。銀河鉄道も人を運ぶだけの「存在者」ではなくなったのだからそれに応えるよう「存在」を現す、今の自分は「ことば」を生み出そうとあります。
失礼致します。

田嶋利江子

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