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高麗さんのビデオ講演配信に助けられています。書き込みに書いて下さっている話題であっても、話し言葉でお声で聴くとまるで違ったように聞こえるほど豊かに深く、めちゃくちゃ面白くて揺さぶられ、うごけよと迫られます。
時間がない時は、5分でもいいから聞いて、途中で後ろ髪惹かれながら中断して仕事に出かけたりするのですが、細切れでも聞くと聞かないとでは大違い。高麗さんのお声を聴くのは、なくてはならない日々の日課です。
凄まじいお話聞いているのにバカやってる自分で、考えると嫌になりますが、それでもどうすればいいかだけ考えて、行くよりないです。
高麗さんのビデオを途中まで聞いて、今日はフリースクールの仕事に向かいました。でも仕事、と書くには、あまりにも恥ずかしく、ちゃんと「仕事」になってないと自覚せざるを得ません。
音楽の先生がお休みで音楽選択の生徒が臨時参加して、教室は満員御礼でした。初めて参加した人も、すんなり一緒に居て、和やかにお絵かきしました。自発的に新しい課題を自分で見つけて描く人もいて、一人一人面白かったです。
家に帰って夕食の支度をしているとき、二つの料理を同時に温かいまま食べれるように同時進行で進めていたのですが、自分の子供は隣室でわれ関せずでパソコンやっていて、ちょっと手伝ってくれたらいいのにと思ってしまい、イライラドタバタ動いて音を立ててしまいました。すると子供が「手伝ってほしければ言えばいいじゃん」と言いました。言わなければ手伝ってもらえないことに腹を立てていた自分でした。
人の主体性とかを当て込んでいるのでした。
これってずるいのかしらと思いました。かといって、管理も苦手な自分です。(と言うか、管理ってどうするのか 全然わからない。管理能力皆無)
管理と言っても、日本人の管理と、今押し寄せてきているグローバルなるものからの管理とはまるで異質な気がする。大きな組織の介護職場もかなり異質の管理が押し寄せてきていることを感じています。管理されると物凄く萎縮します。ほとんど恐怖と疎外による管理。
自分のこともよく管理できない自分なので、管理が全部悪いとは思わないけれど、正しい管理を覚えたいです。萎縮しない管理。
整理するのが先ずは良い、とは考えます。
というわけで、本日は、美しいこと積み重ねたいと思って家を出ましたが、美に至らず。それでもまた美しいことを実現したいと、少しでも微かでも実現していこうと、ひとねむりしてまた起きます。
こんな半端な自分なのに、今日一日、いのちをありがとうございました。
明日は。未知。
内臓を引き上げると1月31日のコンサート拍手のリズムが蘇ります。ちゃんと体が覚えてくれている。素晴らしい人体。ありがたいです。
人の身体のすばらしいことを、現実社会に実現したいです。