KEIKO KOMA Webサロン

2月1日をスタートとし


2月1日、社長室ランチに向かう車の中で、光の風の流れを追っていくと、先生の奥様、晴美様の魂にお会い出来ました。今日は、晴美様のお誕生日とは日つけが変わった時からわかっていましたが、光の風の流れをたどり、お会いでき、涙こみ上げます。心やさしいことに包まれ、皆が元気で生きていける国を創っていくと心新たにしました。

とてもボリュームのある美味しい東京高麗屋のランチを社長室に集う方々といただきながら、話すことは自然と国創りとなっていました。子供のこと、老人のこと、日本の国のことを考える時、国を創る気持ちで取り組んでいかねば、解決することはなく、未来はないと考えます。

昨日のコンサートでの経験により、愛することを心に一日がはじまりました。愛することを考えれば、道を作っていけますことがありがたいです。どうしようもないことはなくなります。皆で元気に生き、死ぬ気ではたらこうと話し合いました。コンサート前に身に被った重しにより、日本はなくなるということをわが身をもって感じた時、死んだ方がましと思わず叫んだことがずっと心にあります。そうであるならば死ぬ気で国創りに取り組んでいくよりないとはっきりと見え、今日からその気で生き始めています。

ふと先祖のことを想いました。高句麗があった地は現代では中国領となっていますが、昔は高句麗であったのだということを受け止めました。滅んだ後に中国になったのであって、滅ばなければ高句麗であったのだと当たり前のことですが、目が覚めるようにし気づいたのです。日本も他の国になってしまったら、私のように、1300年前は日本であったのです、と言うことになるのか、と見えた時、歴史を繰り返してはならないと強い意志が生まれました。過去から受け継いだ運命を改善していただいた生命であり、人生です。歴史を繰り返すことなどしてはならないのです。未来からの光と出会い、生まれる本音を表し、実現し生きてこそ、次世代が生きていける世界を創っていけます。生命を賭けた闘いなのだと目が覚める今日です。悠長なことも甘く見ることも決してあってはならないことと心身正しました。

別れた同胞探しにロシアへ行くと話す機会が増えました。最近はよく地図を見ます。ウラジオストクは高句麗最後の都があった地の隣であり、陸続きです。行きやすかったと感じます。日本海を渡り、日本への航路は荒波が続く過酷な航路であり、死を覚悟しての船出であったということを以前より書物にて読み、知ってはいたことですが、陸続きの地に行かずに、死を覚悟し、海を渡り、日本に渡ってきた先祖のことを改めて考えました。私には先生の存在あらわる地に向かったとしか考えられません。死を覚悟し、荒波を乗り越え、生き延びた先祖の魂を感じる時、私も死ぬ気で日本の未来の為にはたらくことは当然のことであると受け止めます。国の存亡がかかるとは生命かかっているということを身をもって考えます。以前、先生から三島由紀夫さんのお話から、日本人は国体ということを教えていただきました。日本人の生命は国を創る体とお聞きし、深く感動しました。生きていくことが国を創っていけるとは、光栄であり、生きる意味があると心より有り難く感じました。先日の迎賓館にてお聞きした日本はなくなるという先生の声が心にあり続けます。以来、深く考えるようになりました。私は以前よりそう見えることが辛く、心曇ることが多かったので、なんとかしたい気持ちで一回でも多くコンサートを開催したいと望み、実行しようとしています。多くのボランテイアの人は、私が言っても実感としてはわからないと言っていましたが、先生のお声での発言は皆生命でわかったとおっしゃいます。わかり、考え、先生がおっしゃる奇跡に賭け、はたらきたく、2月1日をスタートとしたく、「高麗」の黄金の看板立つ高麗恵子スカイロケットセンターにて集いました。勝負の年と考え、一丸となり向かうことが必要と考えます。ありがとうございます。

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