KEIKO KOMA Webサロン

神と一体


昨夜は、大変衝撃的な体験をしました。先生にお話いただき、かぶっていたものは自分が作ってきたものと気づき始め、頭も体もすっきりとし、目が覚めました。まるで、体のまわりをコンクリートで固められていたようでした。その塊が先生のお言葉で壊れさり、塊とは亡霊に取り憑かれていたようなものだと自覚しました。その後は、背中に風が吹いているような感覚で、恐怖が走ります。何とは表現できない恐怖を感じ、家の中であっても歩きながら注意深く警戒しながら歩くのでした。ふと取り憑かれるようにしてあったものが取れたので不安になっているのかと気づきました。重かった背中も首のまわりも本当に憑き物がとれたようでした。あったものがなくなるのは例え重荷であっても不安を感じたり寂しくなるのだと苦笑しました。その後は死んだように寝入りました。朝起きても目が覚めず、歩いていても眠っている状態でした。私にぶら下がる人によっていつか倒されるという内容のご指摘を昨日みたいな状態の時に受けてきました。自分でよくわかっていなかったので、改善できませんでしたが、昨夜はよくわかりました。コンクリートで固められていると見えたのは、私のまわりでぶら下がっている状態と気付きました。おおいなる存在あらわる時代においては、生命の負担になることや未来を作ることを邪魔するものは全て露呈し、改善するよりないとわかります。コンサートを前にし今までの在り方が壊れさり、真の自分で生きていける状態となれ、心より感謝します。

第一部「潜在的主体性」

「平和であることは当然です。平和とは戦争状態ではないということも当然です。しかし、戦争がないと平和なのかというと、今時そんなことを真っ当に信じている人はいないでしょう。戦争がないということだけでは、平和であるということはいえないでしょう。我が国においては平和ボケという言い方もあって戦争がないというだけで平和をそのままにわかるということではないのです。他国での戦争に対する各々の反応と考えと行動によってどのように生きているのかが明確になるでしょう。潜在的主体性が失われている場合は、一瞬の反応が鈍く、正しくなどどとらえようもなく、日ごとの幸せも偽りの幸せの中で幸せと思い込むという事態になります。潜在的主体性は、戦時下では普通の生活の場面では生きていくことで精一杯におかれ、なかなか将来を見越した教育により主体性を育てることもままなりません。戦争は断固として反対です。」

第2部「いのちは神に」

「いのちは神に生かされて どのような時もどのような事があろうとも潜在的主体性がひらかれその場その時に最大のいのちのちからを発揮します。人生には何度もチャンスがあります。そのチャンスをしっかりと受け止め、直ちに一瞬の間もなく生まれ変わったようにチャンスを活かさないと神からどんどん遠のきます。「神など。。。」と、平然とうそぶくのです。神は、神々は絶えずはたらき、はたらきかけています。人類の栄光はこのはたらきかけと共にある時に得られます。時間を無駄にせず、ほんの少しの間も無駄にせず、神の、神々のはたらきかけを全身で受け容聞いてください。」

私は今日のコンサートをウクライナにいる方や海外におられるウクライナ人にライブ配信でお届けしたく、色々と動いてきました。ちょうど今日、依頼していたグリジアの方からお返事がありました。その方はお祖母様がウクライナ人であると知りました。ウクライナにたくさんの友人がいるとのことで連絡をとってくれたのですが、皆地下シェルターに潜っていてネットが通じないとのことや避難中であったとのことです。グルジアにもたくさんのウクライナ人が避難してきたようです。ライブ配信は無理という現実を受け止めました。在日ウクライナ人にはご参加いただきたいと本気で考えお誘いしましたが、無理でした。昨日案内して今日ですので、そのまま受け止めました。そうであるなら、この自分が世界に伝播する生命となり、必死でお聴きしようと取り組みました。ピアノの音でお祓いお浄めをしていただいているようでした。自分の生命だけでなく、空間も祓われ、浄められ、この世で作られた限界の枠も境もなくなっていきます。透明感あふれる光満ちる世界に身をおくことができ、とてもありがたいです。パイプオルガンの演奏をお聴きする頃になると、自分がウクライナに居るように感じていました。その時、自分は何処にいるだろうかと考えました。日本も戦争が起こったたら自分はどうするだろうと考えました。この身の置き所は最高司令官と共に居るよりないと生命でわかりました。そうであるならどうするかを考えます。もし自分がゼレンスキー大統領であればどう考えるかと考え始めたのです。神共に在るよりないとは明らかにわかりました。最も純粋な心、正義には神が共に在ると見えました。これより理不尽な戦いには勝てないとはっきりと見えます。国の為に、人の為に徹して純粋であることを心にし、演奏をお聴きしました。神ははたらきかけてくださいます。正しく、メッセージのように、「神は、神々は絶えずはたらき、はたらきかけてくれています」をそのまま経験させていただきました。これよりないという経験でした。神、神々のはたらきかけにより起こる奇跡に心を馳せます。現実になるようにまずは自分が神と一体となり生きることと心にしました。戦争が起こっている今、一人一人の生き方、在り方がそのままあらわることに驚きながらも、この危機にあり、人間とし生きていけないようでは生きている意味もない生き方であると自然とわかります。今日のメッセージはそのままわかる経験を昨日からさせていただいています。私は神と一体となり生き、奇跡が起こる道を歩みます。ミスも、すぐに動けずに遅いことも戦時下であれば、生命落とすとは歴然としています。戦時下で今のようなことをやっていれるかと考えれば、何が必要で何が無駄かは瞬時に見極めることができます。人間の真価が問われています。濁りも曇りもない全き美しい気持ち、心で生き神と一体となり生きていきます。日本にいて戦争を抑止できることは今日のコンサートで経験させていただきました在り方と教えられます。ネットでの配信以上に魂は伝播したと感じます。自分が生きていく為にも人の為にも世界の為にも人間になるよりない時と身をもってわかります。後半では頭が完全にストップしている状態とはたらく状態とが交互に現れます。体制内では頭がストップしてしまっています。ストップしている頭は死んでいるに等しいことを自覚し、恐ろしくて体が震えました。今日は体は起きて動いていても頭は寝ていました。正確には、寝ていた頭が起こされて寝ぼけている状態でした。今やっと目覚めたのだと感じました。普段は眠っている頭で生きていたのかと気づき、唖然としました。眠っている頭では先生の音とひとつになれず、追い払っているように聞こえます。はたらいている頭には先生の音は生き物のように光輝き、多次元を自由に行き来ができます。とても創造的です。人間、頭が全開しはたらきはじめれば、今のような事態もさっさと変えていけると見えたことが希望です。日本に生きながら、頭がはたらけば世界を変えていける動きができるのです。神共に生きていきます。ありがとうございます。

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結工房にて-3
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NPO高麗 東北センターにて
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美しい日 比叡山にてマーブリングしました。