真の自由
コグリョカフェで詩をいただき、まだ全体とひとつがつかめていない自分の状態を考えていました。解釈に陥りやすい自分の傾向を理解はしていて、瞬間の表現ができるように意識はしていましたが、やっぱり間が入りあるがままでないことも自覚していました。どうすればいいんだろうと考えあぐね臨んだ京都コンサートでした。
コグリョカフェからコンサートに参加すると、閃くコンサートになります。
第一部は自由がテーマにもかかわらず、不自由な自分の状態が浮き彫りになりました。
結婚している割には自由にさせてもらっている、お店をやっているから自由に動けるなど、言葉では自由と使っていても真の自由とは違うと感じつつも、それを望むこともわがままなのではないかと自分を縛り付ける傾向に気が付きました。演奏は宇宙を感じ、濃紺の果てない世界、とらわれのないこの世界が生きる世界、そう感じてなりませんでした。
京都に向かう道中から怒鳴ったり物を叩いたりする人が近くにいることが多く、スパでは喧嘩が始まり、どちらも私には直接の影響はありませんでしたが、バスの中では寒さと体の中を何かが這うような感じで血管がどんどん固められていくように動きを止められていくような重さを感じていました。
第二部は第一音のパイプオルガンが鳴ると後方に獣の唸るような音が聞こえビクッと体が反応し、途中久しぶりに喉が針で刺されるように痛み涙が滲みました。息が苦しく咳き込みそうになり、演奏後半に入ってやっと香る風が体内を吹き抜け、包み込まれるように体が温まって溶けて血が流れていくように感じました。人は無関心であることは良くなく、そう出来ないこともまた気付きでした。
高麗さんから頂いた言葉のしめくくり
自分の中心決め、全体とひとつの自分しっかりとつかむ
本当にこれよりなく、これが真の自由と感じた京都での経験でした。
先生、高麗さん、ありがとうございました。