KEIKO KOMA Webサロン

盛岡にて


数日前より盛岡で過ごす2日間に光りを感じ、ときめきとても楽しみにしていました。
食と健康の講習会にも参加させていただき、また翌日偶然お会いした受講生の方に美味しいお店を教えて頂き、偶然お会いした克哲さんからは予防医学を主軸にした今後のビジョンについてもお聞きでき、とても愉しいひとときでした。
昨夜のコンサートの体感は兎に角頭が湯だったように熱く、コンサートの経験を死について、応用コースでお聞きでき有り難く感じました。
特に第二部のコンサートのメッセージの、生死を超えて、という難しい表現はどのような意味なのかと驚いていました。二つの講座と高麗さんの講演会をお聞きし、少しずつわかり始めたことは生きていることと死んでいることの境がなく同じであることと、であるなら生きていた方が絶対に良いという歓びです。死という終わりが大前提としてあるから、死に向かう時間があり、死の恐怖が生じていたのかと気がつきます。銀河鉄道の車内での経験を大前提としたら、今までの思考が違ったものに感じます。初めて会った人とずっと前から会っていたような感覚を覚える経験のお話で思い出したことは、いだきに出逢ったときのことでした。初めてコンサートに参加させていただいたときに、自分が探していた方であることを直感し、両親に懇願しいだき講座の受講をさせていただきました。そこではじめて先生と高麗さんとお話しさせていただいたときに、生まれる前から知っている方と感じたことはとても不思議でした。生まれる前?つまりそれは時間を前提に考えれば、この世に肉体としての生を受ける前から魂は存在し、その魂が誕生以前からいだきを知っていたのか、などと考えを巡らせたこともありました。しかし、それでは、その魂はいつ生まれたのか、始まりを想定してみてもよくわからず曖昧でした。銀河鉄道の車内のでの経験には今までにない体感を感じ、そもそもいつ始まったのか、などと時間を前提にしていることが間違いであるとすれば、発想の根底から違っていると感じます。

高麗さんの即興詩をお聞きしている最中、コグリョカフェにて以前書いてくださった内面の光景の詩「世界の中心で生き 世界を変える」という言葉が突然蘇り、世界の中心はここか、という確かな感覚に衝撃を受け涙が溢れました。ずっと、世界の中心ははどこなのだろうと探していました。

高麗さんが即興詩を詠まれる最後まで居たいと生まれる本音に従ってよかったと感じます。時間を気にし退室していたら得られない経験でした。

本当にありがとうございます。

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モルモラ 深煎り
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びわ湖ホールにて
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いだき京都事務所にて