KEIKO KOMA Webサロン

盛岡にて


昨日からの、応用コース、存在論、死について、ビデオ講演会に参加させていただき、ありがとうございました。

応用コースでは、書き言葉に神がはたらく、とお聞きし、書くことの大切さを改めて教えていただきました。先生のお母様のお話で、目が見えなかった時に、「見えたらもう一度連れてきてくれるか?」と、ご自身の言葉で現され、新聞が読めるほど見えるようになられたお話しは、本当に「自分の言葉」で生きていくことをわかるお話です。人間って、何かによって作られたんじゃないかとは、私も自分をそう感じます。特に、母が亡くなってからは、自分が何のために生きているのか?を問うことが多くなっています。自分で書いて、わかっていきたいです。

存在論では、時間のお話しから、365日で一歳年を取ることの不思議さに初めて気がつきめした。私は、自分の歳のことを詮索されるのが面倒だと感じるので、いつも自己紹介では先に年齢を言うようにしています。年齢について、年をとって嫌だとは感じません。2回目のレバノン高句麗伝説ツアーに参加した時、同じ部屋の女性が92才だったのですが、とても気さくで楽しい方で、元気に歩き、楽々となんでもなさったので、私の中では92才のスタンダードは彼女になりました。先輩の女性でしたが、おばあさんとは感じませんでした。地球は365日で一年だけど、3500年で一年が回る星もあるとお聞きすると、時間の観念が固定されていることに気が付きます。私は、もちろん親や学校で習いましたが、人間に教えた何者かがいるということも考えたことがなかったことです。いだき講座で過去の時間を今に持ち込んでいることは、この24時間が1日という当たり前の世界では無い経験です。生命に宿った先祖からの運命の因子を取り除くことで、本来の生命の光を取り戻す。その生命だからこそ、本音がわかっていける。この生き方が出来るのに、苦労してるのは好きでやってると言われてもその通りだと感じます。どう考えても、資質を活かして生きる方が、楽なはずなのに。わざわざわからないように、生きている。その自覚はあります。
死について、では、レプタリアンのお話しを聞き、途中から自分の中にもいるような気がしてきました。冷たい何か。講座が終わって、席を移動しようとすると、つまづいてこけてしまいました。あまりにも、ぼんやりしていたのです。レプタリアンからの解放には、「愛」と聞き、フワフワとしていました。同じ「愛」という言葉。体でわかること。寝たきりの母は、私がイライラしていると途端に調子が悪くなりました。生命繋がっていることを、何度も教えてくれました。共に生きていること。死が終わりではないと、聞き、今も共にいてくれているのかと。
最後に、体の中にいた変なチカラが入れ替わると言われ、どういうことが起こるのか。あまりに未知のお話しです。

ありがとうございます。

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