異次元に向かって
感情的にブチ切れた方はいいけれど、言われた方はどんな気持ちになるのか分かっているのでしょうか。言葉の使い方一つで、まるで変わってしまう人とのコミュニケーションを最近考えざるを得ない場面が多いです。感情を交えた分、結果が見合わなくても言い放った方は何も感じないのでしょうか。人との溝は、こうして深まっていくのだと昨日も感じながら、ギリギリコンサートメッセージに間に合い、ライブ配信をお聴きしました。悲しくて、切なくて、いっぱいになります。毎日、朝から夜まであくせくと走り回り、電話一本で振り回される今の日々を考えます。仕事に慣れないからと思っていましたが、慣れる慣れないではないのだと、間違った思い込みに過ぎないのだと気づきました。先生のコンサートがあるからこそ、時間が区切られて且つ考えることができるのだと気づきました。毎日、同じようにこの時間に流されていたら、毎晩寝落ちする有様から自滅するしかないのです。妙にリアルに見える今、心身に纏わりついたものを払い除けるようにピアノの音が包み込んでくれます。会場に向かうバス中で、涙が込み上げます。「絶えず新たに」「日々、時々、新たに」メッセージをお聴きし、巻き込まれることなく、絶えず新たに生きるにはと考えます。胸痛く全身が痛みます。会場に着いた瞬間、この安堵感は何と表現したらいいのでしょうか。全身から余計な力が抜けていきます。
第二部の「内面の豊かさ」がすべての答えと分かるメッセージです。第一音から、異次元の世界に飛翔します。あまりにも素早くワープしたかのように、宇宙空間にいました。宇宙を飛び抜けた世界は、何と言えばいいのでしょうか。後で、宇宙が始まる三段階前の世界と思い出しました。一体何が始まるのでしょうか。先生の腕が鍵盤に打ち下ろされる度に、長い倍音が糸を引くように響きます。何かが一枚一枚めくられていくように、ベールが剥がれていきます。頭の奥が突き抜けた瞬間、開眼したかのように体感がまるで変わりました。何もかもが突き抜け、一つとなるのです。この気持ちよさは初めてです。この世界は、何と表せばいいのでしょうか。言葉の限界のコンサートです。前代未聞の異次元に向かっている、ただならぬ緊張と歓喜と畏怖と入り混じります。ありがとうございます。