画像という空間領域
先生、高麗さんいつもありがとうございます。
3月3日終わり、掃除も出来ずに光の世界に申し訳ない気持ちのまま、仕事に向かう朝です。
テレビをつけると目の前に飛び込んでくる画像は 今 本当に世界で起こっていることとして しっかりと目でみて身体で感じ、本当のこととウソっぽい疑いの何かをどうしたらいいのかと混乱します。地下に潜れば、また違い、表層も違い、隣りに座ってスマホを眺めている人のそれぞれ見ている画像も容赦なくこちらに何かを発し、言葉としていかないとべったりと淀んでどうしようもないです。自分の中に戦いの悲しみの歴史の情報がたくさんあることを自覚しています。 動かないと動けなくなっていることになるのかと厳しい気持ちもはっきりしました。 絵を描いていたことは何だったのか、言葉ではなく画像とした空間領域のはっきりした情報が内側から生まれてきます。言語化と視覚化の頭の整理が複雑過ぎました。
頭どうなるのか?ぜんぜんわかりませんが、全体と1つです。
お母さんは わからないのは当たり前だと溜め息も出ます。
ありがとうございます。
感謝