現実社会の中で実現する
高麗恵子さんのビデオ講演会をk.k.chでおききしているとき、「真っ暗闇」という声をおききしました。宮古への道で感じたことが、道や空間の暗さではなく、自分の暗さだったのか!っと気がつきました。三鷹にて「あたま」のことがコンサートメッセージで表現された時にお聴きした即興演奏は、訪れたこともない秋の五女山への道を歩いていて、豊かで、美しくて、どんな道も歩いていけると感じたので、コンサートに参加して夢ばかりみて、現実をちゃんと直視し、新たなアクションを起こせていないことが、変だとわかりました。その後も続くコンサートの経験で、お腹が空くことが感じられない胃がとても変だと感じました。府中どりーむホールでの音は、まるでちがう響を一音めから感じ、先生から生まれる音は、どこまでも自由なのに、なんで自分は不自由なままなのか?自由のもとはどこにあるのか?先生のお身体はなんで、こんなに全部なのか?ただ参加させていただいていて、感動したことを、暮らし、関係、店の空間にもっともっと表わしてなかったと認識しました。家族と夕食をとりながら、今までにない感じで店のこれからを語りあっていました。別々に頑張る先のない状態から一人一人でひとつに向かえる何かがはじまり、仄かにやっていけると、食卓が光ってみえました。自分で考え、稼いで未来ひらくことに、お金を使えるように働いていきます。
朝、店に入り、高知でのコンサートCD「動く水」をかけました。風が吹き抜け、動けます。ありがとうございます。