KEIKO KOMA Webサロン

現れ出たおおいなる存在


京都コンサートに向かい出発する時、ガレージのシャッターを開けると、一枚の木の葉が舞い降りて来ました。目に見えない世界が見える私はなんでも図形で見えるのですが、完璧に美しい図形となるスピードと、舞い降りてくる様に感動しました。存在に出会い、ご挨拶せずにはいられませんでした。最近、自分では感じていることも多くの人が感じている訳ではないと気付き始め、自分の感覚や感性は、詩人であるなら活かされると目が覚めるように気づき、木の葉が一枚舞い落ちる様も詩に書くことの喜びを感じ、比叡山を車を走らせ降りていきました。赤茶色に染まる木の葉の微妙な色合いの変化が織り成す光景がとても素敵で秋の風情がありました。今日は美しい日です。

コンサートの第一部のどこまでもやさしいピアノの音色に、第一音から懐かしさに震え、ずっとここに居たいと望みました。先ほど出会った一枚の木の葉が舞い落ちる光景が目の前に見えました。全体とひとつである木の葉の舞いを言葉に表現することはできずとも先生はそのまま表現されることに驚きました。すでに25年前、阪神大震災チャリテイーコンサートを全国で開催している時、岩手県の新聞社に行き、記者に先生のコンサートのお話をさせていただきました。その記者は、「桜の花がひらひらと風に舞う様を即興演奏されるのですか。なんてロマンがあり素晴らしいことでしょう」とおっしゃいました。木造造りの建物の一室での会話は今も尚覚えています。四季折々の美しい日本の魂震える程感動する自然のはたらきを先生は表現してくださっていることの豊かさを今日は楽しんだのでした。今までは悲しみを感じたり生きることの儚さに寂しさを感じてきました。自分の感覚や感情で自然の風景を見るのでした。「死の壁」が抜ける前に感じていた死に向かって生きることの虚しさや、27日のコンサートにて経験しました「全面的な愛」により一人で生まれ、一人で死んでいく恐怖から解放された今であれば、自然のはたらきそのものを感じ、詩に書いていける人生を生きていけるならば幸せと感じます。今日見た木の葉が舞い落ちる場面を詩に書くことを想像するだけで生きていることの豊かさを感じ、幸せを感じるのでした。

パイプオルガンの演奏は圧巻でした。頭にハマった輪っかは神観念と見えました。死の恐怖を乗り越えていける存在とし神を絶対とする考え方が頭にハマっていると見えました。世界中の人の頭にもハマっていると見えました。信仰の違いにより人間同士が殺し合うことの異常さに気づくこともなく、対立し、実際に人殺しができるとはを考えると、たとえどのような理由があったとしても受け容れられることではありません。レバノンでも宗教の違いにより内戦が起き、殺し合いをしていた人が、ある時、何故人間同士なのに殺さなければならないのかと正気に戻った時の虚しさをお話されていました。一人一人の頭にハマっている神観念の輪っかも、今までの論理も思考も頭を縛っている黒い壁としか見えません。物凄い迫力を持って過去の頭をぶち壊し、ぶっ飛ばしたと見えた瞬間、何もかも打ち破り、おおいなる存在が現れました。その時のパイプオルガンの音と言いましたら、全てに共鳴し、宇宙までも届き、地の底までも響き、全ての存在と共鳴していました。おおいなる存在あらわる瞬間瞬間の音は圧巻でした。私はここまで演奏してくださることに喜びあふれ、お腹の底から笑いが吹き出してしまいました。その後は体を震わせて笑っていました。痛快であり爽快であり、この世の権力もぶっ飛び、壊れ去りました。新しい軸は決まります。新しい時代の幕開けに万歳、万歳と叫びたい気持ちで大拍手をしました。こんなに楽しい人生は止められないと心の中で言いながら、席を立ち、歩きました。

第一部のメッセージは「愛の宇宙」です。

このままで一年終え、新年を迎えられますか。極めて日本的な感覚です。それで何年、何十年、何百年、通ってきたでしょう。来年こそはという思いはどなたもおありでしょう。大事な命です。諦めることなどはとんでもないことです。愛をしっかり全身で経験しあらゆる場面で言葉以前に表してこその愛です。もう愛で傷つく時代ではありません。愛というのは遥か天空、宇宙全体からのはたらきかけを受け容れ、受け取り、人はそれぞれ愛する経験を通して「愛の宇宙」を経験します。全幅の信頼を得て来年に向かいます」

愛によって傷つく時代は終わったことに安堵し胸おさえ、胸さすります。

 

第2部は「愛はすべてをこえる」です。

愛を学んだことはありますか。仮に学んだとして、記憶にとどめるうちは、愛は学んだことにはなりません。不思議ですね。知性や理性をもってしてもどうにもなりません。傲慢になるのが落ちです。この身ひとつで全身全霊身についてあらゆる時々に表してこその愛です。一般的に勉強していけないということではありませんが、愛についてはどんどん遠くなります。愛の経験なくしてどのようなことをしても必ず壊れます。病で倒れたり、生活、仕事全般にいえることです。「愛はすべてをこえる」」

パイプオルガンの演奏をお聴きしていると背中、肩からあたたかいエネルギーが注がれ、やがて全身に注がれるエネルギーによって生命癒されました。27日のコンサートでも病は治るとはっきりと見えましたが、おおいなる存在に抱かれると、古い頭で縛っている生命の歪みや傷が癒されて行くことが見えます。そして、人間が作った社会で生きる生命は余計なことで気をつかい、神経すり減らし、病気となると見えます。先生の演奏はおおいなる存在からのメッセージですので、必死でメッセージを聞き、わかろうとしました。意識によっては限界があることを頭の痛みは教えてくれました。そのまま全身でお聴きしました。愛はすべてをのりこえる経験をさせていただいていることに気づきました。続くピアノの演奏もおおいなる存在のメッセージとしお聴きしました。これからの時代をどう生きるかを細かに教えていただきました。この世の絡みが神経に障り、身を痛めます。おおいなる存在であればどのようにし、この世を生きていくのかと真剣に学ばせていただきました。この世で生きながら、真の自分を表していくことを学びます。途中、咳き込む音が聞こえると同時に頭痛が起こります。聖なる世界に身を置き、おおいなる存在のメッセージを心澄まし聞いている時に邪魔されたように感じるのです。目を閉じ、心澄ます時、また邪魔されたら。。と怯え、構えてしまうのです。いつもこのようにまわりがすることでびくびくして生きてきた自分を認め、ここで変わりたいと望みました。おおいなる存在はどのようにされるのでしょうかと考えながらお聴きしていると真の自分を表すことに集中する動きが見え、どう動くかを学びました。第一部でもずっと考えることでしたが、地球を全貌できるところがあるとし、そこから人間のあり方を見ていたら、あまりの異常さに誰もが呆れ、非人間的なあり方を正すよりなくなると考えていました。食べ物がなくて子供が死んでいる現実があり、衣食住を奪われ、難民となり生きる人々もたくさんいる中で片や、一つの世界で生きていながらそんなことを感じることもない人がいる地球上の有様を見れば、何もしないで自分のことで精一杯であることは人間とはいえない有様と見えます。私には今までのあり方を全てぶち壊し、おおいなる存在があらわる世界となったことが見えました。今日は真におめでたい日と心から喜びが生まれます。どのような状況であっても今日、コンサートホールに身を運べたことは、人間とし最高の場面に居合わせたのです。この経験を皆で活かし、これ以上生命が犠牲にならずに真が実現する世界を創っていく生き方を一人一人がはじめていくのです。素晴らしい時を経験でき、感謝で一杯です。ありがとうございます。

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比叡山工房にて
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府中の森芸術劇場 どりーむホールにて
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