KEIKO KOMA Webサロン

父が見せてくれたこと


昨日は死についての先生の講座を一回めの三鷹での開催のときとおなじ理由でお聴きできなくて、今後の不注意は必ず無くそうと心します。

父が亡くなって8年、早いものです。退院が決まっていた矢先、突然亡くなってしまった父の死に直面しました。最後まで意識があり、目を開けて、私たち家族がいることもわかっていた父の最後のときは家族の全員が亡くなったことがわからないほど死と生の境界線が感じられませんでした。医師が見つめていた心臓のデーターの判断により亡くなったと告げられました。きっと父がいちばんわかっていないのかもしれないと、あまりに悲しくて辛くて、家にやっと帰ってこられた父の姿を受け入れられず、家の周りをひとりぐるぐる歩き回りながら自分の気持ちをなんとかしなくてはと気が狂いそうになりながら必死で亡くなったことを受け入れようとしていました。あくる日はアントレプレヌールサロンがありました。先生にお会いできたことで父の死を受け容れていただけ、父も助かりました。最後のお別れのときの父の顔からは春を感じるほど私の心はとても和やかでした。このようにご立派な遺骨の方は滅多におられませんと言っていただいた父は、私たちに死ということを見せてくれ、経験させてくれました。父は父の命を純粋に生きてきたのだと感じる父の最後は、私を先生や高麗さんに出会わせてくれたのは父であったと、先祖からの繫がりを父の死によって経験させていただきました。翌日がアントレということ、そして亡くなったのが5月5日だったので、連休ということで家族全員が父の最後のときに共にいれたことも父の生き方でした。亡くなったらどうなるのか、いつもいちばんわかりたいことです。そういえばイエスキリストに出会えた夢を見たことがあります。死んだら会える存在と夢のなかでは言われました。なぜそのような夢を見たのかわかりませんが、そのあとに高麗さんがその夢のなかにおられ、誰よりも私の生命の悲しみを受け泣いておられたのです。夢でありながら忘れられない夢を見ました。

8月の死については参加が叶いました。

ありがとうございます。

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幻のコグリョカフェにて
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府中の森芸術劇場どりーむホールにて
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて