KEIKO KOMA Webサロン

湧き出る光


ある若い人(日本人ではない)のネットの発信を視聴すると、いだきしん先生のお話を聞いていたわけではないのに、先生の仰っていたことを本音から仰る様子にトップがどうであろうと一人一人核心をついて平和へ向かおうとする姿に驚きます。学生運動を潰されて、「頑張ったって無駄だったでしょ、それより恋をしよう」という雰囲気の80年代を経て、私の青春を過ごした「やっきとなるなんてダルい、自分を出して熱くなるなんてかっこわるい」という時代もありましたが、現在は全くそういった時でなくなったことを感じます。少し前に日本でかっこよいとされていた価値観は今はとてもかっこわるい。そもそもその過去にも先生と高麗さんや、運命がありながらも必死で世を変えようとなさっていた方々はいらっしゃったわけです・・・。

講座二日目に先生にピアノを弾いていただいた時と同じ感覚が昨日のコンサートでは蘇ります。内側からグングンと光が湧いて、覆っている皮をパーンと破ってしまい、頭で「隠さなきゃ」とか「そうはいってもやっぱり気のせいかも。自分にとって都合の良い考え方をしているかも。」とか打ち消す感じが一切通用しなくなります。渾身の力で弾いてくださる演奏は内面とダイレクトに通じます。テレビでの専門家の話が「自分の見解を展開すること」に価値を見出すだけで、実際に窓の外で爆発が起きて日本も専制になっていく状態を防ぐために命や頭を働かせているとはとてもいえないのを、若い人たちや子供達が視聴して巻き込まれないで欲しいと感じ、自分も意味のある言葉だけを使うよう改めて訓練をと心を引き締めます。

コンサートの始まる前は背中は痛いわ、ゾワゾワ何かしらの落ち着かないものに襲われるわで、一瞬「スケジュールは空けていたけど今日のコンサートはお休みしようか・・・」と過ぎりました。ある方の声に「しっかりしなければ」としっかりと目を開け、お陰様で会場まで足を運ぶに至り、今を生き内面通じる人の温もりに感謝しました。こう書くと大げさな感じもするのですが、決して大げさな表現ではなく、ピンク色に近いグリーンと感じたお声の音色に、とにかく自分は同じ平和を願う人間でありながら全然違う系統であるのを明らかに、面白く興味深く感じながらも、自分を活かせるのは自分しかいないので、しっかりしていこうと気を新たにしたのでした。それにしてもどうしてこんなにも人は一人一人みんな違うのだろうかと不思議に感じる今日この頃です。そもそもこんなにも違うことを知らずに過ごした月日。標準化の社会ということで、みんなが標準に近づこうと意識しているために、それぞれの違いや素晴らしさはわかりづらかったこれまでなのですね。それがわからないと、真の意味では仲良く過ごすこともままならないわけで、そういう過去を人類が過ごしてきたんだとますますこの今の時代の意味に震えます。

最近従姉妹とよく連絡を取ります。運命の因子的には、従姉妹はかっこいい人、私はちょっとださい人、という雰囲気なのでした。小さい頃は従姉妹から「真似しないで!」と良く言われ、うざったがられていたものです。かっこいい人を真似しないと生きてはいかれない、と思っていた私の因子ですが、真似するのでなくて自分を顕す生き方こそが今一番かっこ良いし、それをできるのは人類史上初であることに畏怖を抱きます。

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府中の森芸術劇場 ウィーンホールにて
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マドリード展示会場より
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沖縄のこころ