KEIKO KOMA Webサロン

求めてきた在り方


生命の中心、深奥でお聞きする先生のアントレプレヌールサロンでのお話は、生命の奥深くを辿れば、幼い頃より求め続けてきたこととわかり、涙滲みます。一回一回のコンサートは正に生命賭けであり、生死を分けると身を以て経験しています。「死の壁」のお話は、生命をもってわかります。体の中に板のように張り付いていたとの表現通りでした。先生がお話くださる通りに「死の壁」がなくなってからは生きていてもしょうがないと感じることもなくなってきました。世の空気もなくなっているとは真にそうであると感じます。それは、私はいつも空間にあるエネルギーを表現すると生きていてもしょうがない、生きているのが嫌になった、という表現になるからです。最近はこのような言葉に表すエネルギーがないことを感じています。すごいことです。そして二日前の府中でのコンサートでは、「新しい生命、新たな内面」とのメッセージ通りを経験させていただき、新しい生命となれば、内面も変わるとは希望を感じます。昆虫のように脱皮するとは死を意味するとも真にと感じます。「今まで生きたままの身体で「新しい生命」へと移行しているとは、世の奇跡と驚喜します。

第2部のエッセージ「全面的な愛」のお話は涙よりありません。生まれてきたら死に向かい生きていることは誰もが当たり前と受け止める生き方であっても私には虚しくてならず、苦しみを感じていました。「死の壁」に気づいた時、生まれたら死に向かう人生は作られた人生ではないかと生まれて初めて感じる経験があり、始めも終わりもない時間を超える人間の存在を経験できましたことが幼い頃より求め続けてきた真の人間の人生と深い感動に包まれました。生きてこの経験ができることに至福の喜びを感じました。そして今日の先生のお話から、生まれる前、生まれつきの生命の働きが一貫してあることは皆ひとりひとり違うこと、違うひとりと出会い、二人の人間が一つになると本当の創造力が生まれること、愛は部分ではなく見た目でもなく「全部」であること、これは「死の壁」を乗り越えないとできないこと、人間ひとりひとり生まれ、ひとりひとり死んでいくという人間の歴史を作ってしまったとお聞きした時、内面は感動の涙で一杯でした。いつも一人で生まれてきたから一人で死ぬことが寂しくて、一人で死ぬことを思うと、真っ暗闇の寒い世界に放り込まれる感覚となり、怖くてたまらないのです。母が死んだ時、心の中で、母は本当は強かったのかもしれませんが、いつも母はか弱くてかわいそうと感じていた私は、「お母さん、一人でよく死ねたね」と母に語りかけていたのです。あの真っ暗で寒いところによく一人で行けたね、と涙よりないのです。そしていつか私も一人で死んでいくことを考えると怖くて生きていることも死ぬことも耐え難い恐怖を感じるのです。死の壁を乗り終え、全面的な愛を経験できれば、一人で死んでいくのではないのだとわかった時、これほど嬉しくありがたいことはないと声にならない感動の声が生命全てから聞こえます。涙、涙です。幼い頃から一人で死んでいくことだけは耐えられないと感じてきました。このような話をすれば皆一人で死んでいくのだと誰もが疑うこともなく受け止めるよりない現実がありますので、言うことすらできませんでしたが、言わずしても先生は全て受容してくださりわかってくださっていたのだと今日のお話をお聞きした時には感無量でした。ここまでわかったら普通の理屈では誰の言うことも聞かないと最後におっしゃったお言葉に深く頷き、心の中で拍手喝采です。生命の深奥を辿れば、この時を待っていた感覚があるのです。やっと死が恐怖だけでなくなり、これからどのように考えていけるかわかりませんが、人間とし真っ当に生きていけると安堵します。

ひとりひとりの存在、この世に生まれ、存在していることの意味をどう活かすかという時代になったことも夢のように感じる程に求めてやまない生き方です。自分の存在を日本語で表現することの大切さも教えていただき、良い本を読むことと教えていただきましたので、楽しみに読んでみます。人類史上初めての経験をさせていただいていますので、どのように表現したら良いかは常に考えることであります。まずはどのようにではなく、感じたままに、気持ちのままに表現し、豊かな日本語を学び、より豊かに表現できるようになれれば本望です。

昨夜の書き込みにて、「日本全国津々浦々、世界中に先生の存在をお伝えする」と自然に生まれるがままに書かせていただき、夜眠る時にはどのようにお伝えしていけるかをずっと考えていました。朝には昨年開催しましたパリでの作品展の時の風が吹き、香りがしました。パリでは、いつも朝は鬱である私としたら珍しく朝起きた時に今日は誰に出会えるか、と胸がときめいてならなかったのです。ときめきながら化粧をし、身支度ができた朝は幸せでした。自分たちで会場を探し、借りて、行ったこともない会場を想像し作品を皆のスーツケースに詰め、自分達で設営し、いだき空間を立ち上げたのです。会場に入った人は出てくる時は人間が変わっていると先生がおっしゃってくださったことが嬉しくてならず、とにかくお一人でも多くの方に会場にお入りいただけるように皆で必死で呼び込みしたのです。フランス語もできないのに、日本語で必死で話しかけました。疲れて椅子に座っていてもすぐに立ち上がり、この間にも出会いを待つ人がいらっしゃると感じると涙が込み上げてくるのです。休む間もなくお伝えし続けました。最高に楽しく幸せでした。今後も異国の地であっても自分達でいだき空間を立ち上げ、入ったら人間が変わっている場所を作ることが国創りと考え、世界中にお伝えできるように考え、動いていくことが楽しみでなりません。ましてや全面的な愛を経験し、その深い意味まで教えていただいた今日からは、先生が存在する時代に生まれた限り、出会えないことはあまりに気の毒であると身にしみます。

一人で死ぬことの恐怖からやっと解放される時が来たことに信じ難い気持ちで夢を見ているようです。全身が、魂が泣いています。ありがとうございます。

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