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歴史的な!? クリスマス•イヴ。


クリスマスに盛岡でいだきしん先生のコンサートと「死について」、存在論があり、要の今年のクリスマスは自然とイエス・キリストの死と存在について考え、直接先生から伺うことになりました。特別に意図したことではありませんでしたが、先生からお聞きし、何度か読んでいた田川建三さんの「イエスという男」をたまたま2週間ほど前に手にする機会があり、久しぶりに読み返し、色々と疑問が浮かんだところにイエス・キリストの映画を次々と見ることになってしまいました。これもたまたま仕事上で映像や映画を見る必要があって様々な映像視聴会員にもなり、それで仕事をしているうちにイエスの映画視聴に繋がってしまいました。

古い映画も比較的新しい映画もベースは新約聖書でしょうから基本的なストーリーはそんなに変わりません。それでも監督による視点の違いは当然あるはずですが元々のストーリーがしっかりしてるので大きな差異は感じられませんでした。逆にだからこそ、誰が描いても変わらないイエスや弟子たちのイメージがわかり、その流れで見ると聖書でイエスが言ったと言われる言葉と行動、弟子たちの言葉と行動に次々と疑問が出てきてしまいます。聖書に馴染みがない頃はもし いだきしん先生だったらどう考えられるだろう?・・、と想像することでイエスのことを考えることが多かったのですが、少しは聖書も読んでみて、さらに今回のように映画や映像も重ねていくと疑問点が多いストーリーとイエス像が見えてきました。

少年?青年?の頃から先生がずっと会いたかったと考えておられたイエス・キリストはその人間像がわかればわかるほど私には いだきしん先生の生き方と自然と重なってきます。大工だったから身体は逞しく、酒飲みで(ここは違います?! )人が集まるところにどんどん入っていって交流する。みんなの輪の中で語ることばは本音でしょうし、その自然な姿が当時の時代の中では逆説的反抗者(田川建三さん著「イエスという男」による)に見えていったのも頷けます。キリスト教の先駆者(宗教家)ではなく、「歴史の先駆者」という田川さんの表現も的確と感じます。ただ、神と言われる存在との関係や弟子たちとの関係の中で発したとされることばにはイエス像がはっきりしてくればくるほど違和感を感じることが多いです。私の質問に一つ一つ丁寧に答えていただけて大変ありがたかったです。そして最もイエス様をよくご存知の先生からのお答えを得られてぐっと理解は深まります。「真の愛」「新しい愛」についても先生のお答えをそのまま受けとれたと感じます。自分でも驚くべきことでしたが「対話」の力でした。
今回の先生の講座、コンサートの要はやはり愛だったと感じますが、先生ご自身が「好みの存在論だった」と仰った「量子力学、物理学」をベースにお話いただいた「関係」についてであり、愛でした。物理の世界が極まれば哲学のあり方にも影響を与えていくとのお話もあり、いよいよ「人間とは」についての答えが明確になっていく時代到来に希望を感じます。

クリスマスというと「標準化」ではないですが、自分には理由もなくケーキを食べてお菓子の入った長靴を楽しみにする子供の頃からの習慣というべき日でしたが、それはそれで良しとしながらも、「歴史の先駆者」イエス・キリストの実像を考える貴重な機会となり、実像を最もよくご存知の先生へ質問できるという最高のプレゼントを山ほどいただいた歴史的なクリスマスとなりました。
さらに生命の誕生から、いだきの誕生につながる人間の誕生の瞬間についてもあらためてゆっくりとお聞きできました。「人間とは」を考える大変多くの貴重な経験の場を心より感謝致します。ありがとうございます。

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