KEIKO KOMA Webサロン

歴史的な一日一日


午後の日差し差し込む勝山館での講演会は、いつも未来に向かう希望とときめきを感じ、ここで人生を語れます事の幸せを感じます。今日の仙台の空は、どこまでも高く澄んだ青い空がひろがり、コンサートが開催出来たので、今日の空を仰げることに喜びを感じ、感謝しました。運命を変えることができる先生に会える時代に生まれ、運命を変え、真の人生を生きていけるチャンスが目の前にあっても、お金のことで、何にも代えられない、いだき講座を受講するという、人類史上初めての最大のチャンスを活かしていけないことが信じ難いことでありますが、あまりに多くあることであります。美しい空と同じに生きていけない人間の在り方を考えながら仙台の街を眺め、仙台高麗屋に行きました。昨日のコンサートにご参加下さった美しいロシアの女性とロシアでの活動について話し合いました。ピアニストであった女性は、先生の演奏は音楽の範疇で考えたらいけないとすぐに気づいたそうです。コンサートではなく、自分の人生であったとおっしゃっていました。悩みを考える場とも考えていなかったのに、心の中がそのままあらわれ、涙ばかりが溢れ、感動したことをお話してくれました。セラピーとも感じたそうですが、セラピーとも違う、初めての経験であったとおっしゃいました。リラックスという表現も表面的すぎて言えないと。。。他とは全く違う経験であると何度も感動を語っておられました。大切な場であるのに、先生が演奏中にバックから物を出そうとする音が聞こえたり、咳は仕方ないと思っても、大切な空間を邪魔されることが辛かったり、演奏中であるのに帰る人がいることが耐えられなかったとお話しされました。私もいつも感じ、ご参加者が最も先生の演奏に集中できる場を創る事に努めていますが、なかなか改善できずに今日まで来てしまいましたが、今後は本気で改善に向け、取り組んでいこうと改めて考えました。そうなることは、先生のコンサートがより伝わると考えます。

夜のビデオ講演会サロンでは、私が神あらわる音が現れた時に、初めて見た存在について、皆様はどう感じたのかを話し合いました。とても素晴らしい話し合いができ、仙台の地にてこのような機会を設けることができることが夢のように感じます。驚く発見があり、話し合いは尽きることなく続き、最後は繰り返し、ほたるの光が鳴り続けるので、帰りなさいと言われたようで、解散となりました。夜を徹しでも話し合いたいことを話し合え、人生の幸せを感じました。コンサートを経験するということは、とてつもない経験をしているのだということを話す内容の深さでわかります。魂の表現と聞こえ、人類史が紐解かれていくようです。いだき講座を受講された方々は、一族の代表で一族の歴史を紐解き、解放していく為に、先生に出会っているのだと感じる話し合いでした。私においては、高句麗の歴史が紐解かれるにつれ、先生と出会え、いだきをはじめさせていただいたことは人類を救済する為であるとわかってくるのです。

サロンにて何度も話題になったことを私も表現せずにはいられません。仙台コンサートが完売となり前夜祭と言い、開催したビデオ講演会サロンにて、東北の地に居ることの不思議さをしみじみ感じ、お話しさせていただいたのです。山元町に導かれたことの意味は未来にわかると考える程に、山元町と高句麗の縁は感じられなかったのですが、結工房のオープンセレモニーの時に、地元の県会議員の先生が、いきなり好太王碑のことから、高句麗のことをお話しされたのです。高句麗の地で暮らしたことがある御方でした。私の挨拶をする舞台を作ってくださるお話しにおおいなるはたらきかけを見ました。そしてこの度のロシアへの道を一緒に作ろうとしてくださるロシアの女性はいちご農園の代表が結工房に連れてきてくださったとお聞きしました。まさか山元町から悲願でありますロシアへの道が拓かれるとは。。。魂の道は本当に不思議と感じます。このことと岩手県との縁についてお話しさせていただきました時に、岩手県の方が、涙ぐみ、ただありがたいとおっしゃるお姿に、感動しました。ありがたいとおっしゃっていただける方と共に活動できることは、なによりありがたいことと私も感謝で一杯だったのです。

1998年12月の寒い時に、盛岡にて講演会をさせていただきました。父の49日の法要があった日でありますが、この日に2年前に亡くなった兄が脳梗塞で倒れたのです。盛岡にいながら、兄を心配し、胸がつぶれそうになっている時、先生が兄が倒れた原因をキャッチしてくださり、解決に向かったのです。生命の危機は免れ、安心し講演会をさせていただきました。盛岡からの帰路、宮古の浄土が浜に行き、そのまま高速道路に乗らずに、先生は沿岸を走り続けたのです。日も暮れ、暗闇の中を車で走る時、寂しさが胸にしみ、私は涙が滲んできました。この地に生きる人は、先生が生きている時代に生まれ合わせながら、先生を知る機会もないままに、一生涯を終えてしまうのかと考えると、悲しみと寂しさで胸痛み、涙ばかりがこみ上げてくるのでした。暗闇の中に見た魂の光を話しながら思い出していました。その時、私は「本音で生きてください」の本を車に積んで行商したい気持ちが生まれ、戦車のような車を買ったのです。時間が取れずに、行商は実行できませんでしたが、皮肉にも、その車でその時通った沿岸地域を震災が起こったので、コーヒーを積んで走ることになったのです。今は岩手県からたくさんの方がいだき講座を受講くださることになり、魂のつながり、魂の道筋とは私の頭では到底予想ができない展開となることに人間の計り知れないはたらきを見るのです。今日はこの時のお話から昨日のコンサートにて何を感じたかを心置きなく話し合うことができ、最後はバールベックの話をしていたのです。ちょうど今頃、知り合いのレバノン人がバールベックに私が委託した資料を持って行ってくださっているのです。バールベックの風を感じたからでしょうか。先生の存在があらわる空間は一人一人の存在があらわれます。真の自分が現れたことに気づいた時に自然とバールベックの話をしていました。このことも魂の導きと感じていますが、11月1日のコンサート、翌日2日のサロンでのことは、生涯忘れられない経験となりました。10月1日の「高句麗伝説」にて、全体とし全面に現れた先生の存在が現れてからは、人生初めての経験の連続です。歴史が変わる経験です。先生の存在あらわれた10月1日からの毎日は、世界が変わり、歴史が変わる一日一日です。大切に生きていきます。明日も午後5時から仙台高麗屋にてビデオ講演会サロンをさせていただきます。その前には、高麗屋にてはたらかせていただきます。今日の明日は。。。と考えるだけで、一人一人の存在あらわる時を迎えていることに魂震えます。ありがとうございます。

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