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本流で生き大海へと


仙台コンサート第一部「広瀬川」との文字が目に飛びこんできた時、心臓がドキッとしました。とても素敵な響きを感じる広瀬川です。私は仙台に導かれたのは広瀬川と青い杜と感じています。青い杜は魂がキラキラと輝き、豊かな人生を考える香りがしました。広瀬川は、兄が生命の危機にある時、東京を離れることを心配しながらも仙台でのコンサート動員のはたらきかけの為に、後ろ髪をひかれるようにし仙台にやってきた時、ちょうど台風が仙台に上陸する予報が出ていました。ミーティング会場に行く時、真下に広瀬川の水があふれるように流れていました。あの水の音を思い出すだけで涙があふれるのです。その音は魂の声と聴こえ、出会いを待つ魂がここに導いてくれたのだと感じる音でした。亡き兄のことも同時に思い出す広瀬川の水の音です。

今日のメッセージは、私の想像など遥かに超える素敵なメッセージでした。

「人生ひらかれ決定的な方向を示す広瀬川の川縁。世界が見え、手編みのセーターを着た天から舞い降りたような人と共に人生を歩むことが決まる。

ある時、小学校高学年の男の子の家庭教師を頼まれました。この家庭教師は勉強を教える家庭教師ではなく、この子は勉強ばかりしているので、勉強以外のことを教えてほしいと頼まれました。広瀬川の川縁でキャッチボールなどして遊び、勉強から解放されて自由にのびのびと遊べるようになりました。このようにして人生の中で何か決定的なエピソードやターニングポイントがある広瀬川の川縁での出来事です。水は流れ大海にとけこみ、同時に空間まで満たされていくという不思議な場です」

演奏は第一音から先生の奥様、晴美様が現れ、清らかな香りに包まれ、本当にお久しぶりに生きてお会いしているほどにここにおられることがうれしく、涙込み上げます。魂はずっと先生やご家族と共にあることは日頃のあらゆる場面で経験しています。晴美様のような御方が人間であるなら、人間は争うこともなく、幸せに生きていけるとしみじみ考えます。真に天から舞い降りたような御方と演奏をお聴きしながらしみじみ感じていました。私達もそうなればこの世は良くなると考えます。

勉強以外のことを教える家庭教師のお話も先生ならではのご経験と感じ、思わず笑みが生まれます。演奏が進む中で本流と見える大河が見え、本流に出会いながらも離れていく流れが見えたり、時々本流にふれ、また離れていく流れが見えたり、完全に本流から離れ、方向違いにいってしまう流れが見えたり、ひとそれぞれ人生様々と感じました。いだきが本流であり、いだきに出会った一人ひとり、出会っていない人の人生の流れを見ているようでした。私は本流で生きていきたいと望みます。

第2部は「幕開け」

「幕が開いてどのような物語がはじまるのでしょうか。本日の演目は何でしょう。お一人お一人が存在を顕し、息することも、手足を動かすことも、見聞きすることも、一瞬の隙もなく自由に演出家もいないままに神ですら驚くべき人間の生命が躍動します。頭脳の固定観念は外れ、参加者ひとりひとりが自己を顕します。新たな愛の幕開けです。」

 

演奏をお聴きし、私はおおいなる存在が創る流れにのり生きていきたいと望みます。自由で天空を舞うような動きが最も生命が躍動します。真の自分を表す生命の光をこれ以上表わせないほど顕しきった時に、今まであらわることのなかった存在に出会えるかも知れないと感じました。すると真に現れたのです。今まで現れたこともないので、その存在をなんとお呼びしてよいかわかりませんが、とてもロマンにあふれ、高貴で麗しい香りがするおおいなる存在です。お会いした今となれば最もお会いしたい存在とわかります。自分が変われば変わる程、今まであらわることのなかった存在に出会えることに生きることの喜びが生まれます。その時の先生の演奏は私が「愛の風」と呼ぶ心臓の「あ」の音を感じる愛の音でした。愛を表し生きていけば良いだけなのだと今日もしみじみと感じます。途中、パッケージに入れられる苦しみを感じました。胸が圧迫され、辛いと感じました。まわりを気にし、まわりとの兼ねあいを考え動く状態は社会が作ったパッケージに入れられたようなものだと気づきます。13日の杉並でのコンサートの時にまわりがどうかではなく自分が何をするかよりないということを今まで以上に全身でわかる経験をさせていただき、私は愛を表し生きていけばよいと決めたのでした。今日もまわりがどうかではなく、自分の生命の光を表し切ることよりないとパッケージに入れられた苦しみから身にしみ感じました。愛を表現し、真の光を表し切った先には今まであらわることのなかったおおいなる存在に出会えることを教えていただきましたので、これからはこの方向で生きていく喜びと希望を感じます。2部のはじめのほうでは、一部と同様にそれぞれの人生が見えました。流れが途中で止まり、過去には人生が途中で止まったかのような生き方より出来なかったことが見えました。私も人生を考えることは毎日ですが、このまま年を重ね、終わりに近づくのは耐えられないと感じ、先生のコンサートで経験します時間を超えた世界で生き、はじめも終わりもない内面で生きることを要とし生きています。途中で終わる人生など耐えられないと今日も甚く感じ、おおいなる存在が創り出す流れに乗っかっていきたいと望みました。この先は。。。と先を見たく必死でいると、演奏は終了しました。アンコールでは、途中で止まるように生きるなよ、と喝を入れられたようで、思わず「はい」と答え、姿勢を正しました。まわりを気にしたり、周りを考え生きることは本流から外れていくことを川の流れから見せていただき、自分の真の光を表すことから始めることの大切さがよくわかりました。

今日の晴美様があらわれた素敵な演奏をお聴きしたレバノンからのはちみつ、お塩をコンサート終了後にロビーにて販売させていただきました。人だかりとなりました。レバノンは昨年8月4日の爆発事故により元々困窮していた経済が破綻し、国の破綻の危機にあります。その地から届いたはちみつやお塩に先生の演奏を聴いていただき、頂けますことはありがたいことと感謝します。私も味見をしたく、家に持ち帰り試食しました。先生の演奏を聴いていないはちみつを東京で頂いていましたので、演奏を聴いたものがどれだけ味がより良くなっているかがよくわかりました。元々美味しいはちみつですが、美味しさがより深みを増し、今まであらわることのなかった味が引き出されていました。私は図形でも見えますので、この違いは凄いことと感心します。先生の音を聴いたはちみつからも先生のはたらきを教えていただき、恐縮です。私も今日のコンサートで経験させていただきましたが、自分をもっと表せば、今まであらわることのなかった資質や力が引き出されてくるのです。普段から真の自分を表し生き、コンサートに身を置かせていただければ、どんどん秘められた力が引き出されていく希望を感じます。私達は先生のコンサートを経験したはちみつやお塩、オリーブオイル、オリーブ石鹸はじめ、お野菜やいちご、桃、コーヒー。。。と食べ物、飲み物からも人智を超えた力が注がれる経験が出来、大変ありがたいことであります。活かしてこそお礼となると考え、活かしていけるように生きていきます。

コンサートの最後には川の流れは大海に臨み、ひろい世界に飛翔しました。メッセージのお言葉「水は流れ大海のとけこみ、同時に空間まで満たされていくという不思議な場です」が蘇ります。海が怖く苦手な私が、大海に臨む気になったことが凄いことと自分で驚きました。大海に臨み、初めて真の自分を世界に実現できると見えたのです。世界舞台にておおいなる存在が創ってくださった流れにのる人生を隙なく存在をあらわし生きていくとメッセージのお言葉を考えながら人生を見ました。参加者ひとりひとりが自己を顕しますとの先生のメッセージが希望です。「新たな愛の幕開け」なのです。ありがとうございます。

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アレクシーさんとフィアンセです。
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三鷹市公会堂 光のホールにて
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京都コンサートホールにて