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曼殊沙華の花


近所のコンビニに行く途中に小さな神社があり、欠けた石垣が何年も崩れたままになっていおりずっと気にしていましたが、近頃きれいに整備され空間もきれいになっていてほっとしています。そのできた塀の下に黄緑色の小さな芽がいくつも生えていたのがここ数日の間に茎が伸びて真っ赤な花を咲かせていたのには驚きました。曼殊沙華の赤い花です。もうそんな季節になったのか、と、高句麗の天の祭りに向かう時を示しているように感じます。実家にいる時は、あれは悲しいかな、さわっちゃいけない花で彼岸花と教えられていましたので、曼殊沙華という別名があると知ったことも驚きです。

今夜、先生ライブを2度目にお聴きし、死者が生者にはたらきかけ、ともに成していくことをやる時がきている、とのお話に、自分に近頃、起こってきているあることも、もしや、このことであるのかと、15日の第一部の「まだない一音」のメッセージをお聴きしながら演奏に聞き入りました。何年も前からコンサートで経験していることがあったのですが、いつも他人事の様に思って、関係ないように、と、無視するようにしていた頭が、この度は、気づいて、その経験に意識をむけ言葉にしたのです。曇り空が真っ青な空へ変わっていった感覚です。光をみた頭脳です。一部のあとの休憩には、光の矢を放たれたように胸の痛みを感じました。

二部の「今までの音から未来をはじめる」では、ここ近日、身に起こってきていること、これまでの人生を眺めるとまるでドラマチックであり、まだ公に表に出していないことがありますが、辻褄があう今、になってきていて、しかし、なぜ、今なのか、それが世界の平和に、どう繋がっていくのだろうか、など、未熟な頭で、何が本当か偽りか、歴史にのっていないことであっても、魂は知っていることは本人しかわからず、実証することはできないとしても、休みの日、PCを開いて調べる時間は、時間を忘れるほど楽しいのです。二部の後半、昨年、亡くなった母のことが感じられ、母は子の私のために、はたらきつづけてくれたことに涙し、自分も子のためにはたらいていく、と言葉になるのでした。私は母の一周忌には行けなかったのですが、お寺での一周忌の話を先日、兄から聞いたところ、お寺での僧侶のお経の場に、白い髪の毛と白い長い髭をした男の人が皆の後ろの方にいたのを甥が見たらしく、他の親族の誰もそのような人は見なかったと、という話を聞き、ぞくっとしました。・・。(コンサートで誰だったのか不謹慎にも尋ねてしまいましたが分かりませんでした。)

二部の演奏の最後にはイエス・キリストのことが感じられ、涙します。歯車がずれたこの世界は、イエス・キリストのまことの愛が世界を包めば世界に平和は訪れる、と言葉になり、演奏は終わりました。仕事では、今までの担当の児童が変わり、大変疲れる毎日になっています。このような状態で、大切な一日をエネルギー消耗し生きていては非常にもったいないとも感じてもいます。職場ではあちらにもこちらにも気になる方がいて、コンサートのことをお知らせする巡りが自然に生まれ、高麗さんのカードが役に立っています。日々、コンサートの経験を忘れないようにし、今感じていることに、間違いがなければ、死者からのはたらきかけを受け入れ、この人生きちんとやることやって生きていきたいです。いつもありがとうございます。

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