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春が来たような!


【あれから三日、やっと書き込みをする余裕ができたことがうれしい!】

12日の京都コンサートホールでの“愛はコスモス”コンサート。息遣いを深めてくれるパイプオルガン、血液を浄化してくれるピアノの音に、理想郷にいるような安心立命を覚えていた。ただ、メッセージが、なぜかよく聞き取れず、あとで高麗先生の文章できちんとわかり、「何の構えもせず、緊張もしない。」と「己の存在顕し」とがどうもつながらなかった。『ええっ!この公私にわたって、大変な、困難なときに、そんな無防備でいいのか?』と。それで、13日の「存在論」のとき、おたずねしてしまったのだが、「部分に反応しないこと!」との教えをいただき、かつ「不安のと緊張の中に居て、金なんかれにはいるか」と言葉を足していただき、ほとんど納得しかけていた。しかし、そんなこと言われても……、という例の懸念がすぐに後ろに続いたのだった。そこをまた先生に見抜かれて、「講演会」に参加して帰れと言われた!

講演会は、「いよいよ本当の自分を生きるとき!」というテーマとは別に、病気が治るから、お金が手に入るようになるから、と「いだき」に来られても、ほんとうはそうだけれど、そんな目先の、自己中心的な、あるいは独善的思いだけでこられてもだめなのであって、もっと全体のこと、世の中のこと、宇宙のことまで視野に入れるようでなければ、「愛」を体現しようとするのでなければ、かえってだめで、「いだき」を止めてしまう人が多い、というお話が印象に残った。

(ここはメモも取らずに聴き入っていたので、わたしなりの解釈かも。)

いま、受験生から電話があり、同志社文学部の入試がダメだったとのこと。悔しがる生徒にもらい泣きしてしまった。「傲慢だった自分が恥ずかしい!」というから、「いや、きみは傲慢じゃなく、ぬか喜び。たかがテストの成績が良かったくらいで有頂天になっていただけに過ぎない。文学部を目指す意志は立派だし、よく努力をしてきたのだから、自分を全否定するな。悲しいけれど、またやればいい!」と励まし、ちっともうまくやれていない自分に言い聞かせているようにもなり、ほんとうに泣けてしまった。

そうくよくよしてないで、①まず興味を持ってもらうこと。②言葉で存在を表わすこと。③神に出会い、全体として生きていくこと。――折角、「安心立命」を体感できたのだから、世界でここだけの「愛のフィールド」にいるのだから、不安を退け、緊張を避け、さりとて弛緩や怠慢になることなくやっていけばいいのだ、と思えるところまでたどり着いた。(2022.2.15.)

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