KEIKO KOMA Webサロン

新しい歴史のはじまり 愛


おおいなるはたらきかけにより導かれ、開催させていただきます今日からのコンサートがただ事ではないと予感していましたが、まさしく新しい人間の歴史の始まりとなりました。今日から人間の生き方も世界も変わります。自分の生命で経験し、この経験をしたなら、新しい人間の歴史がはじまりと生命でわかりました。

昨夜は魔界に覆われ、再び歯の痛みのような激痛に襲われ、脳天まで痛みました。疲労困憊となり、暑い日でもあり、大変しんどい状態でしたが、幸いにも工房にて白いコーヒーをアイスコーヒーでいただくと、生命の内が清められ、力が出てきました。そして7月の薬膳茶の調合したものを試飲しなければいけないのですが、工房にはお鍋がなく湯煎できないので、氷を入れて、アイス薬膳茶にしました。甘くて美味しくて、体から力が湧いてきました。暑い夏は白いコーヒーと薬膳茶で乗り越えていけると体験し、とても助かりました。こんなにしんどい日でも先生は渾身の演奏をしてくださるのだからとコンサートを楽しみに向かいました。

ロビーにはマーブリングの新作を展示しました。この度は、男性物も多く、全てが新しい水によって映し出された模様であり色ですので、透き通った透明感があふれ、素敵です。身につけた時、きっと新しい水、新しい風を感じることでしょう。

いよいよ演奏が始まりました。第一部のメッセージは「美しく強い源、神性」

「いちいちは意識できないでしょうが、美しければ美しいほど「神性」を抜きにはありえません。目に映る以上の厳かで気高いことが美しいことです。同様に強いというのは野蛮を意味しません。不思議でも何でもないけれども野蛮は駆除されます。戦い方にも礼にはじまり、礼に終わるということは、しっかり実行されたらこれほど強く美しいことはないでしょう。我が日本の誇りです。美しく強い源、神性。」

聴いたこともない音であり日常では触れることのない世界を感じ、ここはどこなのかと言葉を探しながら音を辿りました。ここは宇宙の生まれる3段階前の世界と行き着きました。宇宙創生の時など知る由もありませんが、音をお聴きしていると宇宙創生とより感じられず、自分がどこにいるのか、どうしたらよいかがわからずに戸惑いました。迎賓館では地球を上から見ているような感覚となりましたが、今日は宇宙空間に身をおいていると表現したい感覚となり、慣れずに戸惑うばかりでした。ある瞬間、突然宇宙の生まれる3段階前の愛がわかりました。驚き、衝撃を受け、涙込み上げました。先生がずっとお伝えし続けてくださった愛とわかると、今までは人間ではなかったことに気づきました。愛にふれ、愛に生きてこそ人間であると気づき、我の枠が崩壊しはじめました。先生のお誕生日のコンサートを境に、まわりの人からいだきでない生き方が浮き彫りとなり現れ、私は解決に向かうよりなく、身辺整理の時を迎えているのだと受け止めました。このままいだきで生きていない人とはたらくことも活動することもできない時が来たと受け止めていました。皆、明らかに間違っていても我が強く、間違ったことを認めることはしません。一生懸命やっているというところで、頑張るのです。これでは先がないと考えていましたが、今日のコンサートで愛がわかり、自分の我が崩壊してくれたので、助かりました。私も自分が描いている良いとおもうことに囚われますので、そうでないことが起こると苦しくなる自分の状態をなんとか乗り越えていきたいと考え続けていました。愛がわかれば人間としての人生を生きていけます。心のどこかでこうあるべきと描いていた人間としてという生き方が限界であったと気づきます。自分では描くこともできない真の人間としての人生が宇宙の生まれる3段階前の愛に出会い、はじまるのです。今日から人間の歴史が変わると見え、魂震えるばかりです。

第2部「愛に射し込む光」

「暑い日々が続きます。光が射すといっても苦痛に歪み、我慢しなければいけないような熱射ではありません。物理的光に目を奪われがちな今日です。目には見えなくても尊い愛に目覚め、愛するいのちのままに生き続けるある時に射し込む光です。このような光あってこその命であり愛です。種々様々な時、危機を感じ、見ますが、「愛に射し込む光」はこれらの危機をものともせず、いのちの内に「いのちのちから」としてはたらき、新たな未来を創ります。」

2部も大変面白い経験をさせていただきました。自分の問題とよく自覚していますが、神があらわる高音の音が唯一苦手でした。この神様は何を表しておられるのだろうと考えてはみても、答えがないままに今日を迎えました。今日は、長い時間現れ続けておられましたので、考え続けました。内から生まれる言葉は「狂っているほど自由」なのです。それも全き純粋な存在が狂っているかいないかのぎりぎりの線で現れるので、私は怖くなるのです。この世とあの世の境を狂う寸前でありながら、全き純粋にこれ以上ない程自由に動き回るのです。狂うことは恐れであります。子供の頃に、家の庭の池の鯉が、突然宙を飛び上がり、そのまま池に落ちて死んでいった光景が心にあるのです。父は「狂い死に」と言いました。当時の私は自分の末路と見え、恐ろしいと感じていました。この世では狂った方が楽ではないかと考えることが多かったです。純粋に生きようとすれば狂うよりないのではないかと考えていました。この神様があらわると、いつも狂うことを恐れてしまい、怖いと感じてきたのです。今日はそのまま受け止めました。あまりに自由奔放で、そうでありながら寸分の狂いもなく美しい舞を見せてくれているようで、そのリズムもスピードも最高に心地よくて、楽しくて笑いが込み上げてくるのです。宇宙人とか、地球人という言い方がありますが、この感覚は何なのかと考えました。宇宙を抱いていますので、宇宙人とは言えないのです。宇宙の生まれる3段階前の世界人と勝手に名前をつけて、笑いが込み上げてくるのです。そうだ、「いだき人」だと心の中でつぶやいた時、大笑いしました。これからはいだき人とし生きていくのだと喜びあふれました。そしてメッセージにありました「尊い愛に目覚め、愛するいのちのままに生き続ける時に射し込む光」を経験できればありがたいと望み、今後の生き方はこれよりなしと見出しました。感動と躍動の後のアンコールでは、大迫力のアリラン的演奏でした。今日はとてもアリラン的と感じました。聴いているだけで、涙込み上げます。高句麗を感じます。やはり高句麗人もいいと感じていました。「いだき高句麗人」で生きていこうと決め、笑いが込み上げ、コンサートは終わりました。新しい人類史のはじまりとなった歴史的コンサートでした。ただ事ではありません。明日も。。。

ありがとうございます。

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