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憂鬱を越えて


今日はどうにも気持ちがのらない。当てにしていた支援がなかなか届かないことや、期待して読んだ小説(小佐野弾『僕は失くした恋しか歌えない』)が、つまらなかったからかもしれない。財閥の息子であれ、ゲイであれ、恋の情趣をもっと新しく歌えなくては意味がない。「伊勢物語」の構想によるというが、業平の歌の方が数倍上質だ。『ホスト万葉集』上梓の意気やよし!と思っていたのに。ちょっと日本の若いセレブに失望してしまった。

「日本語の文法を一から学び直したい。」という人がいるので、そのニーズに応えつつ、新しい国語教育をめざそうとするが、それが容易でないことを思うのも今日の憂鬱の一つかもしれない。百年の誤謬と言われる「学校文法」をなんとしても改めなければならないが、橋本文法の「文=主語+述語」という概念を取り除くのは大変だし、生成文法も陳述は容易でない。三浦つとむの『日本語の文法』と格闘中だ。ただ、浅才ながら、文法研究より、日本語を新しい時代に合うものに変えていきたいという不遜な思いが強い。「だれが、いつ、どこで」をはっきりさせ、他動詞志向の文を醸造したい。「お飲みものは、コーヒーで大丈夫ですか。」なんて言わせたくない。

(ともあれ、「修養ノート」だけ書いて帰ろうと思っていたが、それを書いているうちに、元気が出て、書き込みしたくなったのです。)22.2.7.

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