KEIKO KOMA Webサロン

ぎりぎりの時こそ


「生命賭け世界の重荷を身に受け、解決へ向かう表現をしてくださる」コンサートに先週府中で参加させて頂き改めましてありがとうございました。

開演前に席に座りますと治療中の歯が痛み出しぐったりしてきましたが、開演が近づくにつれ痛みは治まり終演まで気にならずに大変助かりました。身体の痛みを今までは自分の身体の痛みと捉えていましたが、最近は先祖もこのような身体の痛みや苦しみを体験してきたのかと捉えます。先祖が生きてきた医療も発達していない過去の時代は痛みを簡単に解決できる術もなく、先祖は耐え忍んできたのかと想像しますだけで、現在の恵まれた環境にいる自分は申し訳ない気持ちになります。愚痴や不満、不安や恐怖の心を持つこと自体に恥ずかしいです。

第一部「愛を実行するうえで」コンサートメッセージをお聴きしまして有難い気持ちで演奏をお聴きしました。神とのつながりとお聞きしますパイプオルガンの音をお聴きしますと天井に伸びゆくパイプオルガンが宇宙樹に見え感じました。ニューヨーク・カーネギーホール、スペイン・サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂など世界各国で演奏されてきたパイプオルガンを聴かせて頂ける空間におりますことが今だに不思議で奇跡的な巡りと思いながら世界一光栄な場に居合せて頂いてる気持ちでした。ピアノの音は「愛」を実行できる身体になれますように身体に愛が充満していくように体感します一音一音でした。会場空間には黒い因子か光か分かりませんが初めてチカチカしたものがたくさん見えました。一日の人とのやり取りも蘇りいだきをお伝えする表現が全く出来てなかったと振り返り反省します。三歳ぐらいの時の娘がすべり台の上に立つ光景も出てきまして涙ぐみます。第2部「愛という豊かさを欠いては」最後の連続のピアノの音はどこからこのような音が出てくるのかと思います透明か白いか天につながるように心洗われる音でした。ただただありがたく言葉になりません。老人ホームの入所者さんに今まで生きてきた中で経験したことのないような幸せな体験をさせてあげるというお話を何度もお聴きしてきましたが、今まで生きてしました中で経験したことのないような幸せな体験をコンサートで体験させて頂いたと後の日に振り返り気づきました。

コンサートは鏡のように美しい空間の状態ですので自分の内面がただただ出てきます。自分の日常の行動や判断のエゴ、我儘がコンサート後にも浮き彫りになり、ただただ自分が恥ずかしく情けなく無力感、脱力感をへて何も無くなったときに懺悔の気持ちが出てきました。盛岡応用コースでのお話でキリストが問うた場面が頭をよぎりました。第2部コンサートメッセージの中の「ぎりぎりの時こそ、本物の人間性「愛」がわかります。」のお言葉が胸に滲みます体験をコンサートとコンサート後の時間で体験させて頂きました。ありがとうございました。

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盛岡「高句麗伝説」にて
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比叡山にて
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新年胎動