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第一部「深淵に臨むが如し」

中国最古の詩編の「詩経」よりの引用です。
「深淵に臨むが如し」
即ち、非常に危険な状況にいることの例えです。
このような状況の時の態度、姿勢はどのようであればよいのでしょう。
こういう時こそ、人柄が、あるいは資質が深淵のうちよりあらわれます。
今までにない生命の尊さが瞬時に中心から生まれる適切な行動、行為に通じます。

第二部「いのち・愛」

食べ物も愛がなければ いのちが満たされることはありません。共に生きるのも単に慣れあいのような、即ち日々時々同じような繰り返しでは、何ら問題がないように見えて、虚しさにふるえます。いのちは相互に交わることをよろこび、自然と触れあい、更に宇宙に広がり、愛の素晴らしさを体得します。単に観念的な愛もどきは一時的にだまし、だまされても、頭でつくられたものにすぎません。言葉は重要ですが、言葉だけの
「いのち・愛」は存在しません。
「いのち・愛」

年始から、地震、飛行機事故と続き大変な事態となっています。先生のコンサートで先生の表現されるピアノの音から生まれる世界に身を置いているだけで生命安堵し、やすらぎ、ここが人間の生命が豊かに輝き生きる世界であると身にしみ感じます。第一部の演奏は、大地を揺るがすほどのエネルギーと感じ、地響きが聞こえるようです。メッセージに書かれていましたことを心に聞かせていただきました。非常に危険な状況にいるという例えです。このような状況の時の態度、姿勢はどのようであればよいのでしょう。こういう時こそ、人柄が、あるいは資質が深淵のうちよりあらわれます。」を考えます。演奏からみえることは、内面を常に祓い浄め、何もない状態で生きていくことでした。いだきで生きる生き方です。徹していくことと、よくわかりました。内面に何もなければ、必要な時に必要な判断、行動ができます。演奏から見える動きは美しく、リズムも美しく、軽快でした。見えたように生きることを日々身につけていきたいと考えました。途中、青龍が飛び立ちました。奇跡の時であり、動きの時と感じ、喜び生まれます。鳳凰まで空間に現れ、高句麗の四神に生命守られているように感じ、危機にある時代に生きることはおおいなる存在とつながることなくして生きていけないことも身にしみ感じました。

第2部「いのち。愛」はいのちと声に出して読むだけで、涙滲みます。愛と読むと、深淵な世界に通じながらも、無限な世界に通じていく美しい光を見ました。素晴らしいメッセージを読ませていただくだけで、心身が浄められ、澄んでいきました。ある瞬間、ピアノの音とは決して聞こえない音が聞こえ、先生の生命、空間にある無数の魂、存在と共鳴しながら、大宇宙に立ちました。身も魂も震えました。メッセージには、「虚しさに震えます」という表現がありましたことが心に残っていましたので、この震えは、愛と感じていました。素晴らしい感動の瞬間でした。その後は自由の風、愛の風に吹かれ、風に乗り、どこまでも飛んでいける軽やかさに楽しく、爽快で自由で、最高でした。私は大好きな高句麗の地に突然舞い降りた気になり、魂震え、喜びました。演奏からは緑豊かな大地、清らかな水、愛の地、愛の空間に生命が豊かに輝き育つ光景が見え、幸せを感じました。未来に実現していく光景と見えました。悲しみ、哀しみに胸動きながらも愛に抱かれ、生命は最も癒され、すこやかになります。ここが人間が生きる場です。世界中がこの場になればいいと心から望みます。人間とし生まれ、生命が芯からやすらぎ、愛に抱かれる経験ができる人生とこの経験を知らない人生とは、天と地の差があります。世界中の人ができればいいと望みます。今年もそうできるように日々工夫です。大変な時代にあり、先生のコンサートがあるので生きていけますことに深く感謝します。皆様と共に経験でき、大変うれしいです。ありがとうございます。

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