KEIKO KOMA Webサロン


府中のコンサートホールに向かう道中、突然胸が苦しくなり、発狂しそうになる恐怖で号泣してしまい、胸に強い衝撃が残り、苦しいままに会場へ着きました。先生のリハーサルの音を聴かせていただき、体中が熱くなり、涙にじむのでした。ビデオ講演会にて、日本の危機を乗り越えたく、京都コンサートホールは満席にと目指し始めた昨夜の緊急ボランテイアミーテイングの話をしていました。途中出来るか否かと思わずに、不安や心配しているより手紙を書くとか電話をするとかで動いていきましょうと皆に話していました。自分にも言い聞かせるようにし話していました。今日からその気でスタートしたのですが、自宅でもコーヒーを頂き、ふっと一息ついた時、胸の内にあるエネルギーが入ってきて苦しくなっていました。休まずに表現し続けることを身につけていくことが必要とコンサート前のビデオ講演会にてお話していました。コンサートにてその答えを得ることができました。

コンサートメッセージ第一部「はじめ」

「何事につけ、「はじめ」が肝心です。「はじめ」はすべてをふくみます。学習はいうに及ばず人間的な成長が欠かせません。生まれつきの運命などに翻弄されていては、何かをはじめた気になっていても実は何もはじまってはいません。「男と女のある何か」をお考えになったことがありますか。人間としてこれほど重要なことはないのですが。幸せの「はじめ」のことです。」

ピアノの音から見える図形は、どこまでも澄んだ水色の光です。言葉にさせていただくなら「真」です。音は全て真と見え、感じ、真が体の中にどんどん入り、真と融合しないことは弾き飛ばされていき、生命の内に輝く光はより輝き、やがて光輝く生命は空間とひとつとなりました。心地よいばかりです。こんなにも美しく澄んだ音を聴いたことはありません。こんなにも美しい世界も見たことはありません。この世とは異次元の世界がこの世にあらわると、この世のことがいかに作り物であるかが一目瞭然と見えます。「生まれつきの運命に翻弄されていては、何かをはじめた気になっていても実は何もはじまってはいません。」は深くわかるメッセージです。先生に出会え、生まれつきの運命を解放され、初めて真の人生をはじめていけますことに心底安堵し、心底喜びました。この経験を知らない世界中の人に真をお伝えしたい気持ちでいっぱいです。今日もアスクレピオスの杖が見えました。今日は、白銀に輝いていました。神聖なる男女が一体となるエネルギーは、時空を超え、この世の一切を変えていくと見え、わかります。コンサートで経験させていただけますことの光栄な恵深いことにただただ頭を垂れ、感謝します。

第2部「はじめは愛」

「愛もわからず、愛のないところで何がどのようにはじまるのでしょう。一見、真面目に生きているように見えても生まれながらにして内面的に豊かに反応できないままで、どのようにしてこの世界で生きていけるのでしょう。愛など次元が違いすぎて、わからないままでどうするのでしょう。若い時は一見良いように見えてもある年齢に達した時に苦労と苦痛の人生に突入していることに気づきます。時代はさらに厳しく襲いかかるようにしてあります。世界の先行きは見えません。人間とし法を順守しているだけではどうにもならないということを、このコロナ禍で嫌という程、味わったのではないでしょうか。はじめは愛なのです。そこから外れたことは何事につけ、うまくいきません。「はじめは愛」」

一部と同様にどこまでも澄んだ美しい音、真の表現の連続に、内に真の柱が立ち現れます。大宇宙に通じる真の柱です。京都コンサートの経験により、10歳の頃に自分を押さえ込み、頭を抑え、歪めてしまっていたことが浮き彫りとなり現れ、それからは頭の芯が痺れているような感覚で眠くてたまらないのでした。今日のコンサートで頭の芯はすっかりほぐれ、過去の傷も歪みも綺麗に消えていました。ありがたいです。そして、会場に向かう道中、突然胸の苦しみに襲われた時の状態は、先生にお会いする前によく起こった現象と同じと考えました。この世で生きることが虚しくて虚しくてたまりませんでした。胸に大きな穴が空いているようでした。演奏をお聴きし、愛が欠如した世の中で同じに愛を失った人間が生きることが虚しく、悲しかったとわかります。今日は、胸の奥深くまで大きな穴が空いたように痛んでいました。大きな穴はどこまでも澄んだ美しい音により、真が体に埋まり、塞がりました。胸の苦しみはなくなりました。外へ出ると、空気を吸うだけで、愛が欠如した人間のエネルギーを吸い込み、胸が苦しくなります。愛が人間の生きる要であり、愛なくして人間とし生きていけないことを生命をもってわかります。ラストの方では、音ははるか彼方より注がれる真のエネルギーが雨が降るように注がれている光景が見えました。無限に注がれてきました。やがて上から注がれるだけでなく、どちらが上か下かもなくなり、横に流れるようになったかと見えればすぐに横もなくなり、縦も横もなくなり、自由自在に動きはじめ、螺旋状にどんどん拡大していくのです。愛は動くことと教えられます。今日のビデオ講演会にてお話させていただいていました、動き続けることの答えは愛でした。愛があれば動き続けるのです。愛が失われると動きが止まります。生まれつきの運命に翻弄され、はじめることもできない人生は悲しいばかりです。はじめることもできないので動くこともできないのだと気づいた時には、終わりゆく生き方を見ました。愛はひとつ所に留まらず、どんどん開放され、自由自在の動きがはじまります。愛に満ち、生きる力が湧き出づります。美しいアンコールの演奏では戦うまでもなく、愛に生きる勝利宣言をお聴きしているようでした。京都でも全体があらわれ、先生の存在があらわる時、何もかも浮き出てくることを経験させていただきましたが、今日も先生の存在あらわれ、真の音の連続の中で、身についたマイナスなあり方が現れ解放されました。車の中で発狂しそうになり号泣したことの理由がわかってまいりました。自分も先生にお会いする前は、愛が欠如した世で生きる虚しさに苦しみましたが、世界中の人が自覚したなら発狂するほどのことと考えます。それ程のことがコンサートで心地よい経験をさせていただきながらさらりと乗り越えていけるのですから、皆様にコンサートにご参加いただきたいと心より望みます。発狂する寸前のところで生きていた高校時代の友人がご主人と一緒に今日もコンサートに来てくれていました。来週の新宿も来てねと言うと、もう既にチケットを買っていると言ってくれたのです。帰る時はバイバイと手を振るだけの挨拶で済むのです。ありがたいことと感じます。明日も同じ会場でコンサートがございます。大変ありがたいです。多くの人がお越しになれますことを願います。ありがとうございます。

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比叡山 お茶室にて
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