心、魂
ピンクの光の存在の御方の表現にふれる時、人間は人間になる。
過日の「出会いの一日」では「麗花から高句麗伝説へ」、そして北京・高句麗伝説の上映会に参加しました。心、魂の核を取り戻し、肝臓がよく働きはじめるのがわかりました。大陸の地での高句麗伝説は、高句麗の存在際立つように感じられました。大河のように流れる悠久の歴史が受けいれられていかれ、最後には光が放たれたことを感じ、なんというところで開催をなさったのでしょうとひたすら感嘆しておりました。高句麗伝説を経て、詩が詠まれ、この時に空間が創られ、拡がり、精神立つ、その威力に圧倒され、先生のおっしゃっておられた「身体が立つ」「身体を取り戻す」ということを高麗さんの詩にふれるとき、わかっていきました。心、魂が生きていくのです。
2月頃から自分のまわりでは、お世話になった仕事での年齢もそう離れていない先輩が2人立て続けに急逝したり、お客さまが大変な病気を再発されてしまわれたり、自分の弟も入院したこともあり、大変な状況にある方が増えました。「身体を置き去りに」してきたということはこのことからも甚く感じるのですが、世界の情勢、出来事が人間の生命にかかわることを目の当たりにし、人が人として生きる権利さえままならない、世界で起きていることに落胆しつつも、いだきしん先生がいらっしゃる日本から世界を変えるべく、あきらめないで自分も実行していこうと考えました。
いだきしん先生の狛江での応用コースでは、先生の経験されてきたことから亡くなられた方々のことを伺い、その仕組みの事がよく理解できました。体制、社会の中で体のことを置き去りにしたことで、どうしようもならなくなってそれが先生のところへいかれること。最近は家族や恋人などの事件がとても多く、命を奪ってしまう事件がかつてないほど多くあることが気がかりでした。「関係」が壊れ、それは身体を置き去りにしてしまったということともつながるのだと紐解けていけます。‟身体を置き去りのままでは関係をつくれない”、という言葉も響きました。先生のコンサートでは、置き去りにした身体を取り戻し、存在が明確になること、本音、本心がわかり、それは “ひらく”経験ができるからと、コンサートが本当にかけがえのない機会であることを教えて頂きました。先生のお話しから、パイプオルガンは空間や上昇するエネルギーを表現できること、ピアノは内面の反応から体を取り戻すこと、その両方でせめることができる明日の府中での会場のコンサートはさらに格別と感じております。
資本がすごい勢いでAI関連の企業に流れていっているとのお話からも痛切に脅威のようなものを感じておりました。しかし、ただ乗っかるでもなく飲み込まれるでもなく、本音を実現すべく、あすのコンサートを楽しみに向かいます。心より、ありがとうございます。
