KEIKO KOMA Webサロン

御写真と御言葉


平和祈念堂 仏像の御写真をありがとうございます。平和祈念公園でのコンサート前夜、大きな木の仏像前で いだきしん先生が演奏され 高麗様が世界中からのメッセージを読み上げられた御声は、今も身体に刻まれていること 御写真を拝見し わかりました。祈念堂の高い天井から複数の方々のすすり泣く声が確かに聞こえ、高麗様の「ぬちど宝」と詠まれた御言葉、屋良元主席からのメッセージに涙し、床に崩れ落ちるように居たことを憶えています。当時は いだき講座 受講後一年程で、突然 全身揺さぶられるような悲しみの衝撃が自分に起きたことに戸惑い 只泣き崩れるしかありませんでした。
そして翌日、平和祈念公園コンサートで見た海沿いの夕暮れ。終了後、真っ黒に日焼けされた先生に空港搭乗口で御挨拶叶い 感謝の気持ち胸いっぱいで帰路についたこと、先生の御姿が忘れられません。
それから後年、2004年春の那覇・パレット久茂地での高句麗伝説 前。当時自分は仕事で週の半分を那覇に住み、仕事以外の時間全て 高句麗伝説をお知らせすることで過ごしました。自分にとって初めての NPO KOMA ボランティア活動開始の時でした。いだきしん先生と高麗様の沖縄での御写真を拝見しその時の行程が蘇り、先生と高麗様が今 沖縄に足を運ばれたことで助かる多くの方の生命、魂を感じ 深く感動しています。ありがとうございます。
04年当時、仕事をさせていただいた某音楽事務所社長の御母様は ひめゆり学徒隊の生存者で、糸満で戦争の語り部をされている、と首里・御殿山の一席で伺いました。糸満出身の某青年は、ゲート通りで自前のインパラ(米車)に火を点けコザ暴動を再現する、と本気で語っていました。NPO KOMA の活動に共鳴してくださった浦添の女性二人は毎日 自分を車に乗せ、58号線を南から北まで運転手になってくれて あらゆる所に立ち寄り、結果 高句麗伝説 50枚のチケット販売が叶い 当日全員がいらっしゃいました。高句麗伝説後、沖縄での仕事を終えてからは それらの方々にお会いすることがなかなか叶わず、高麗様、えりか様の御写真一枚一枚を拝見し、嘗て心触れた方々と 再会をずっと望んでいたことに気付かせていただきました。
いだきしん先生と高麗様がいらっしゃることで 今救われる多くの生命。琉球の魂。貴重な一時一時を真にありがとうございます。
岩村ゆかり

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