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希望を持つ


佐藤優の池田大作研究を読んでいて、マルクス主義を背景にする総評が創価学会の侵入を嫌い、労組からの宗教弾圧が起きることに憤慨していた。ちょうど、帚木蓬生の『守教』を読み切って、明治維新を迎えてもなお、政府のひどいキリスタン迫害が続くのに心痛めていたからかも知れない。――単純に弱い人々への救済こそが大事だと思ってきた自分の言葉の定義がぐらぐらする。一方で「宗教」では人は救えないと思いつつ。理論とか、哲学とか、精神とかの土台がちっとも出来上がらないもどかしさも感じていた。でも、まだこれから分かっていけるという希望が持てたのが良かった。
弁証法は、「論証推理の形式」として、帰納法や演繹法と並んで、いつも生徒にも語っている。ヘーゲルによって主張された思想形式で、あらゆる問題を対立としてとらえ、両者をより高い次元で、総合統一して解決するという思考形式のこと。ただ、いつも資本主義⇔アンチ資本主義⇒共産主義となったところで、あまり幸せにも豊かにもならなおい現実との間で悩んでいたが。昨日のお話しでは、人が他者と関係を持つ関係こそが、「テーゼとアンチテーゼ」にあたるのだと分かって、何かホッとした。必ずしも「対立」としてとらえるのでなく、「差異」とか、「異質」とかと考えていいのだと。そして、他者との関係をきちんと構成することで、お互いに成長できるのだと、希望が湧いた。

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高句麗伝説前夜