KEIKO KOMA Webサロン

希望の風の吹く方へ


先生にお目にかかれない日々が続くと思っていましたが思いがけず高麗さんとの対談をお聞きできることになり、ふわっと身が救われた気持ちになりました。地元へ戻っても何をして良いのかわからないのでとりあえずアルバイトをするために東京へ残ったのですが、何日も晴れない湿気と新たな緊急事態宣言が近いためなのかどこか閉塞感があり、いだきの音楽がなければ窒息しそうです。1611年はネット環境もなければ電話すらないはずなのに、どうしてそんなに早く、しかも人との繋がりの中で動けたのでしょうか。何か現代に生きる私達にはないものが備わっていたとしか考えられません。

知り合いとショートメールをやり取りする中で相手からふと出た『新しい仕事』という言葉は希望のある響きでした。言葉として耳にして、紙に「新しい仕事って、希望のある言葉だなぁ」と書いてみました。すると、自分で自覚できないままにどんよりとした重みと一体化している自分の状態がわかってきました。過去の失敗、生徒さんを傷つけたこと、保護者さんにしてしまった中途半端なこと、働いてくれた人達との共依存的な関係による職場の崩壊、過去の人間関係の過ちが自分と一体化して動けなくなっているとわかりました。常に前向きに生きるとは、これらと一体化して動きを止めるのではなくて、科学的に失敗を分析して繰り返さないようにすることだと書きました。私がしたことは「気にしない、気にしない!」とかで済むことではない、絶対に繰り返してはいけないことなのは間違いなく感じるのですが、したことの内容を具体的に言葉に出来ているか?と問うと案外出来ていません。考えてみます。

一応簡単にではありますが昨日、夢の、高麗さんに習って7つ+1つを書いてみました。でも私の書き出したそれらには、倒れ込みそうになるこの重い体を支えるほどの力は無く、まだ何か根本的なところが足りないのかもしれません。書こうとしてお気に入りのペンが見当たらなかったりすると、その程度で心曇り、曇ったところにどんどんモヤモヤしたものが吸い寄せられてきて、周囲がどんどん散らかっていくという、こうして書かせていただくと、読んでいただくのも申し訳ないくらいに馬鹿馬鹿しい小さなことから鬱は始まっていくと感じることもあります。モヤモヤを吹き飛ばせる、まるでいだきの音楽のような希望の風の吹く言語を使い続けられたら素敵です。

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高麗恵子ギャラリーにて
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結工房にて 即興詩9
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東京高麗屋にて