KEIKO KOMA Webサロン

希望だらけの現実的な未来物語


京都の迎賓館コンサート前後から理解してきた愛の本質にベースを置きながら今後どう動いていくかの方向性を模索している中で、アントレプレヌールサロンでいだきしん先生が伝えてくださったことは希望に満ちる現実的な未来物語でした。自分自身が理解し、見出したことを自分文法で書くことも大きな課題であり、2週間近くは個人的な自分ノートには書いても公共的な場であるここには書けない日々が続きました。自己の存在を表現することが状況を変え、世界を変えることに繋がる可能性については理解しつつも表現することの難しさを常に感じる今です。

多様で多元な社会の多くの人々がデジタル技術で繋がり、誰一人もとりこぼさない社会を実現するものとしてデジタル民主主義を唱え、世界の未来を拓くように主張されても、どこか違和感があり、徹底して事実を調べるとその違和感の源がはっきりする。そこではデジタル技術を維持するために発生する環境負荷の課題に触れていなかったり、「すべての人」とは言っても障害を持つ人々や高齢者、またデジタル社会に追いつけていない人々等へのサポートが見えていない現実がある。また一方でAIがつくり出すフェイク世界によって次々と起こりえる大問題、大事件をどう防ぐかも巨大な課題として残る・・・。

随分前からいだきしん先生にご紹介いただいていたオードリ・タン氏が台湾のデジタル担当大臣を辞めて新たに動いているPlurality、デジタル民主主義の構想は一見すると、一人ひとりの誰をも取りこぼさない未来への大きな可能性を拓くようでありながら、大事な問題、課題については言及していないとのことは、いだきしん先生が老人ホームで実践されていた様々な試みの中で見られた現実の人間の想定外の反応や行動、また科学的な分析を超えた体やいのちのはたらきをずっと学んできた我々ならすぐに理解できます。

昨夜、あらためて教えていただいたように、人と人が実際に顔を合わせて一緒にいること、共に同じ空間で暮らすことで相互理解が深まることは いだきしん先生が学生時代から取り組んでおられた社会福祉の現場からすでに喝破し、老人ホームで実践されてきたことです。デジタル技術だけではそこが解決できないわけですが、かといってデジタル技術を使わないとPluralityの「そこ」にも行けないのも現実であり事実です。そこが理解できるかどうかがとても大事ということも教えていただきました。

言葉にならない いだきのことはフェイクの面で見てもセキュリティーは万全で、フェイクをすでに不可能にしている現実もよくわかりました。それがわかればいだきで生きる人間はAIやSNSがつくり出す様々なフェイクや仮想現実を軽々と乗り越えて正確な事実や現実にしっかりと根を張り、存在を表し、迷うことなく希望に満ちた未来社会開拓へと突き進んでいけます。先生が当初から仰っていた「いだきの時代」はまさに「今ここ」に来たと感じます。見方によっては不安と混迷の時代のように見えるデジタル社会はすでに「いだき」で生きることを目指してきた我々にはとんでも無く大きなチャンスに満ち満ちています。

「女と男のある何か」から愛が生まれ、家庭をつくり家族が育まれる人間的な暮らしは日本では出雲の素戔嗚と九州の卑弥呼が米をきっかけに共に暮らし子どもが出来て日本の曙を創造しました。米を作り共同体を作っては事もなげに後からやってきた来た天孫降臨族に差し出し、自分は次々と先に向かっていった猿田彦大神のように生きる日本人のルーツも大いなる存在からの贈り物でしょう。現代から古代へ、逆に約1万5千年前の縄文時代から今に至る日本の豊かな生き方が世界標準とならんとしている今、その現実、事実を理解すればいだきアントレプレナーとしてはたらく未来の方向性はハッキリと観えます。
いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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