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山歩きして


風吹岩(472m)のところに大きなイノシシが横たわっていたので驚く。どうしたの、こんなところで、死んじゃったのか、と思いつつ近づいてみると、どうやら息はある。年とってもう動けなくなったのか、かわいそうに。水でもやろうとペットボトルを鼻先に注いでやると、起き上がって水を舐めだした。で、つぎにビスケットを与えると、猛烈に食べるではないか。近寄ってきたノラ猫を一蹴してまで。登山客もただ見とれている。陽光がまぶしい昼下がりのこと。
――でも、わたしはイノシシと、そうだ、きっと昼寝していたのだろう、でも、老衰に耐えられなかったこともあろう、「命」の交流ができたようで、それから心が弾んで仕方なかった。横池から打越山へ、森林コースをたどりながら、木々からもたくさんのパワーをもらった。動植物と心のシェアができた。この感受性があれば、まだまだ生きていけると確信する。

山道を歩きながら、ずっと「苦労知らず」と、高麗先生が言われ、先生が「そう、彼女は苦労なんかしません。」と言われたとかいうことを考えている。わたしも少年時代からよく「世間知らず、苦労知らずの坊ちゃん」と言われ、なにか悪いことのように思わされたが、そういう環境で育ったのだから、仕方ないじゃないか、と内心思っていた。また、「お前さんに会うため、たいていの苦労はしたわいな」という民謡があり、「苦労」は恋にも生活にも必須のものだと思い込んでいた。さらに、ひとはなぜそんなに苦労の多さを偉そうに誇るのか、馬鹿じゃないかと思っていた。病院の待合室で、病歴の閲覧会をしているようなものだ。そんな「苦労」をしなくても、うまくいく方法があるのに、「いだき」に来ればいいのに、と思う。頼まれもしないのに、山を登り、苦労している自分をおきざりにして。なんとか、「国語のプロ」として生きていくために、それこそ一生懸命頑張っているくせに。ただ、それは苦痛でもないし、いやなことでもないのも事実だ。やせ我慢じゃなく、人生張り合いがあって面白いとも思う。「生きるジタバタ」大いに結構。さっきの猪は、陽だまりの中で永眠したかったのかも。しかし、おっちょこちょいのために、もうすこし生きることに目覚めたのだろう、そう思うことにした。どんどん行動していきたい。イノシイ・パワーと樹木たちのサポートとのせいに違いない。

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レバノンより
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琵琶湖にて2
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高麗恵子スカイロケットセンターにて