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専制


昨日の存在論で、専制についてお聞きしました。
先生は、晴美さんと初めのうちは朝まで議論なさり、わかり合えるようになり、ものを言わなくてもわかるようになって、先生は、外に出ることができた。とお聞きしました。
私は、男性とは議論することができない場合が多いです。どうする?となった時、男の人は頭で考えて答えを作り、セリフを、言葉を言う。それは頭で考えて出した答えであり、私から見ると机上の空論と見え、「言葉で言うのは簡単だけど、実際に成るためにはたくさんの行動が必要だし、思い通りにはいかない」とわかっているので、色々な可能性なり成るように話をしたいのですが、なかなか話になりません。相手が感情的になって、「通達」されるように結論を下されます。その通達に従うことは、はめる練習しているだけ。だから、どんどん不自由になって行くのかとわかります。続けていけるように、成っていくように、考えたいのですが、ただ押し付けられてくるので、納得できなくても言うことを聞いてしまう。話にならないのです。ひどい場合は、「自分はこうだから」でそれ以上進まない。ここまでくると、自分さえ良くて、相手のことはどうでも良いというのが丸見えです。その人にとっての正義が、他の人にとってどうなのか?相手のことを感じられる力が感受性です。自分ができていないから、出会うのか?と、考えてみます。

人の役に立ちたければ、相手の立場に立って、と良く言いますが、自分なりに相手の立場に立っている人に多く会いました。特に、母の介護をしている時に、思い知りました。母のことを理解できていない場合が多く、医師は自分の知識に当てはめます。わからないなら、わからないと言ってくれる方がずっと自由です。仕事の範囲で関わってくれることは、良くわかっています。医療の方程式に当てはまらなければ答えが出せないなら、そう言ってくれた方がが良くて、無理に当てはめて薬を出されるのが生命取りです。

本当に相手のことがわかる感覚を養っていきたい。そして、自分自身の存在を現して生きていきたい。いだきの生き方を知らなければ、相反することと言われています。本音は、自分も人も生かす。実践していきます。やはり、人が知らない、新しい生き方です。ありがとうございます。

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