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対象化。フロイトの本も読みたくなりました


おかげさまで共感領域がわかることで人と会うのが気楽で楽しいです。たしかに目が合った瞬間にもう始まっています。今まで漠然とどうしようかと迷っていたことが明確に言語化されたことで、「あ!今は無理に多く喋ってもダメなタイミングだな」「あ!ここは喋っても大丈夫!」と判別がつき、肩が凝らないです。
今はタクシーの仕事を通じてですが、ふと、「あれ?これは自分なりに提供したい具体的な商品やコンサートのパンフレットを持って臨んだら感じ方が変わるのかしら?」とさらに興味と意欲が湧きます。
「対象化」については、たまにまたわからなくなってしまうか不安だったので、chatGPTにも定義を尋ねました。こんなことまで答えてくれるのかと驚きました。
『自己対象化は、自分自身を客観的な対象として見ることです。この状態では、自分の感情やニーズを十分に認識せず、自分の欲求や情緒的な側面を無視してしまうことがあります。
相手を対象化する場合、他者を単なる物として扱い、その人間性や個別性を無視したり軽視したりする傾向があります。相手の感情、意見、ニーズを十分に理解しようとしないため、コミュニケーションの問題や対立が生じる可能性があります。
対象化は、他者や自己の内面の複雑さと多様性を見落とす傾向を持つことを指し、人間関係やコミュニケーションの改善のためには、対象化を避け、他者や自己に対して共感や理解を示すことが重要です。』
なるほどと思いました。共感も理解もしてないのにポーズだけ示しても仕方なかろうもんとは思いましたが、改めて納得です。これが行動の遅延に繋がることも、昨日今日の生活、家族との会話を通じてわかりました。「対象化もそうだけど、遅くて何が悪いの?熟考する、思慮深い。いいことじゃない」とは叔母の言ですが(私もそう思っていました)、チャンスを逃してしまったり、熟考するだけで何もしなかったり(できなかったり)、結局熟し過ぎてじゅくじゅく腐るだけのこともあるじゃないかと異議を唱えました。(その場では言いませんでしたが、母はそのせいで早死にしたと私は考えています。被害者ぶっていますが、母を殺したのは家族全員ではないかと)。対象化に基づく発言も、やはり家族全員の共通因子でしたが、お互いに興味がない(持っても仕方がないと思っているのか)のが明らかなのは、繋がりを認識できず力も湧かないので、かなり深刻な問題で溜め息が出ます。
さらにchatGPT に「対象化」という言葉を始めて使用したのは誰か尋ねると、ジークムント・フロイトと答えてくれたので、フロイトの本も読んでみたくなりました。そもそもなぜそんなことを考え始めたのかわかりたいです。
余談ですが、ふとテレビを見た時に、
デーブ・スペクターさんが自分たちのことを「我々生活者は~」と何度も呼んでいるのを見て、「あれ?この人は、生命再生産の理論を知っているのかしら?それともアメリカではそういう認識なのかしら」と気になっています。
先生は海外事情の話もして下さいますが、英語ができるのかしら?できるなら別ですが、できないとしたらどうやって海外の情報を仕入れているのかしら?そんな疑問も湧きます。
ありがとうございます。

中川秀之
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