KEIKO KOMA Webサロン

実りある時


京都での応用コース、存在論、ビデオ講演会、たった1日とは思えない充実した日々でした。実際に先生や高麗さんにお会いすることだけではなく、向かう過程で起こること、受講生との出会いなど、すべてひとつに繋がっていきます。

京都に着くと駅の一角で核に関する展示がある場所が目にとまり、SNSで拡散させたらいいかと写真を撮ろうと向かいました。目にする絵画も写真も見ているうちにシャッターを押すことも出来ず立ちつくしてしまいました。水瓶に顔を埋めるようにして亡くなるご遺体の数々、凄惨な亡くなり方とその言葉の数々に胸に鉛が入ったように苦しくなりました。

先生から第三次世界大戦の言葉をお聞きした時に、その京都駅での情景を思い出しました。今回の戦争もどちらの国も大義名分はあるのだと思いますが、いつもその犠牲になるのは国民だと感じています。本当に国民のためというのは何なのか、いかに短く終わらせるか、被害を少なくするかという観点から見ることもひとつの手ではないかと考えてしまいます。

以前、何か新しい発見の発表をする10年くらい前に映画を作ると聞いたことがありますが、少し前にハリーポッターという人気作品の続編ファンタスティックビーストの最新作を観てきました。その中でキリンから未来を見透す力を得た悪との戦いがありました。どうするのかと思っていたら計画を立てない計画というのが作戦となりました。

なんとなくこれからの予期せぬ時代の対処法でもあり、先生の即興演奏という戦い方でもあるような気がして考えさせられました。どうしてもコロナも戦争も何かシナリオがあるような気がしてならず、先生の表面的にいつまで合わせられるのかという言葉が心に響き、余計なものを抱えては戦えないことを思います。

言葉と状態に嘘をつかず、心と体を一体に、何事にも動じない豊かな内面で、周りに流されず存在を集中する

核心に迫るような京都での講座の数々でした。特に生命発生の瞬間の宇宙エネルギーのお話はまさに要と感じるお話でした。奇跡の連続コンサート、高句麗伝説をお伝えしつつ、自分の要の表現を探します。ありがとうございました。

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