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”学校力”


先日の応用講座で、“学校力”という言葉を戴いて、そうだ、良い学校を創立しよう! それがこれからのやりたいことだと、張り切った。そして、仲間に語ったら、「自然学校のような、多様性のある自由交流の場を、やりたいですね。」と、同感された。(それも大いにいいのだが、わたしはもっとアカデミックな、それでいて、権威的でなく、硬質な学びの空間を庶幾しているが……。)さらに、いま読んでいる本(高橋源一郎『「ことば」で殺される前に』河出新書)の中に、世界一素敵な学校として、アメリカ・マサュウセッツ州の「サドベリー・バレー校」のことが紹介されていた。通常の「教育」を一切しないとか、時間を守ることだけが唯一の規約とか。(これもわたしの思うところと少し違う……。わたしは教えたいし、もっと本に囲まれて勉強を共にやりたいのだ。)夢を追えば、情報が向こうからやってくるような気がした。明日のコンサートで、この思いを確実にしたい。その思いを綴った。

先日勤めている高校の三年生男子が電車に飛び込み自殺をした。去年まで担当していた生徒だったので、とても後味が悪く、何とかしてやれなかったものかと思い悩む。不登校気味で、いつも教室の一角で、アトピー性皮膚炎に悩み、暗い顔をしていたのが忘れられない。学校も、カウンセリングの対象者として、家とも連絡を取り合っていたのだそうだから、多少の「いじめ」は分析できても、責任を追及されることもあるまい。しかし、できればこのことを公にしないで、そっと忘却の海に流してしまいたいだろうことが、一介の非常勤講師にはやるせない。なんでも自殺の名所を選んで死んだのだから、やはりかれは何か訴えたかったのだろうし、もっとクラス全体で考えるようんしたいものだ。
ところで、わたしは、決して学校が無力だとは思わない。反対に、学校にはすごい可能性の、飛躍の、成長の機会が満載されていて。学校に来るだけで、家庭や職場では得られない「生きる力」を習得できるのだと思っている。わたし自身いじめられたり、成績が伸びずに困惑したり、教師への不信を募らせたりしたが、それでも、わたしは学校が好きであった。教師になっても、学校の雰囲気が大好きである。そこは一つの共同体であり、失敗の許される実験場所であり、様々な出会いがある空間だからだ。図書館で自習したり、瞑想したりしている時間は、人生の至福のときである。わからないことはすぐに聞けるし、年齢差を越え、地位差を越え、普遍的な交流がらできるからだ。
理想的な学校を創立したいという夢がある!

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