存在
昨日お菓子工場の苦手作業部所に久々に入ると、以前からそうだったように気づきあった。予定表では別の部所になっていたところ、欠員で変更のよう、マジかと思ったが、後からなるほどになる。存在しているだけでいいと、喜び湧く。なんて素敵なんだろう。いのちはそうなんだ、すべてのいのちは。すべてにやさしくなれる。書き込みしながらの今、内面に枠の無い体感に気づきなるほどとなる。存在者、自分のことだったとわかる昨日。それは人からの意識し過ぎる評価から解放と歩く道々感じ、その後、胸切り開かれ拓く体感味わう一昨日の事あり、また、動かないようにはたらく癖も、ねばならぬの思いも、依存も命に反していると気づく事もあったからわかったのかと思う。存在者だったから、動けない動かないともわかる。
ありがとうございます。