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子どもの時のごはん


昨日はいだき東北センターにていだきしん先生によります応用コースと存在論、高麗さんのビデオ講演会に参加させて頂きありがとうございました。応用コース始まり、盛岡の秋の季節の大自然の中でご演奏頂くピアノの音に包まれていのちとからだは愛に癒されました。美しいピアノの音をお聴きできる恵みを活かして今を生きていきます。

疎外やアノミーのお話は社会病理学から見た人間社会の構造、人類の問題の要を知り驚きました。そのことを解決や救済する為にいだきが始まったこともお話下さり先生のおはたらきに敬服致しました。人類のことをされていて、やり抜いていく東北人の強さということも肌身でいつも経験させて頂いてます。道場での稽古のようです。強くなっていけるように生きます。

先生に淹れて頂きました美味しい珈琲を頂きながらお聴きさせて頂く高麗さんのお話しもいつも愛に溢れ未来に向かう力漲ってきます。次の渋谷コンサート、京都コンサート、来年の京都や狛江でのコンサートと常に前へ向かっていくよりない生き方を共に活動させて頂き力をつけるよりないと心します。全てに感謝と大感動しかなく心よりありがとうございます。

今朝になり、食べるもしくは食べないことについて自身の小学生の時の1シーンを思い出しました。食べるとか食べたいという意識が全く無かったことが多かったです。あまり食べなかったです。何故かとかはなく、小学生ですので、おそらくからだの状態であり自然であり無意識だったと思います。家でごはんの時間と母に呼ばれてごはんの時間になったから食べるというだけで、声かからなかったら何かその時にやっていることを続けてました。

食べたいという意識もなく、お腹空くということもあまり無かったです。お腹すいても少量ですぐにお腹いっぱいになりましたので少量で十分でしたのに全部食べたり三食食べたりしてました。大人になって食の知識を少しでも分かり自分の体も自分で分かってきますと社会の常識のような食べ方は根拠ない食べ方と分かってきました。少量でお腹ふくれて十分と感じる自分がおかしいのか、人と違うのかなと子ども心に一瞬思ったかもしれません。その一瞬思ったことを自分に問うこともなく、母に話すこともなく、言わないことに不自然さを感じることもなく、我慢といえば我慢することが自然の空気、家庭内の空気、社会の空気、世界の空気だったのではないかと、今になって、昨日の先生のお話しを機会に気づきました。

我慢してご飯食べていた
家庭内で我慢していた
家庭内で自分の感じたことを言わなかった
としましたら、

これが気質となり、大人になっても残り、気質のままに生きてきたのかと今気づきました。歪んだいのちの状態で、大人になり、仕事したり、家庭生活があったり、活動したり、物事行なっても、歪んだ結果になるとは自ずと分かりました。共同体、共同社会の中で当たり前のように我慢している状態は疎外されている状態であると自分の経験と照らして考えることができました。物事を答え出していく生き方を身につけていける機会を与えて下さりありがとうございます。一つ一つ、日々の積み重ねに尽くして参ります。自律の機会を、自律の講座をありがとうございます。

西裏玲

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