KEIKO KOMA Webサロン

因果律を越えて


なんと背中の痛みが消えている! 昨日の二つの講座と講演会に出席した賜物だ!――と思うのは、やはり「認識論(因果律的考察)」になるな、と思って苦笑する。だから、最初に質問した人の気持ちは分かる。なにか禍々しきものに取りつかれているから、アクシデントに見舞われ、言いがかりに近い責任論を吹っ掛けられているのかも……。だから、それを取り除いてもらいたいもの。そして、先生が「医者じゃないよ」と言われても、治療や対応について尋ねたくなる人の気持ちもわかる。だって、「医者」以上に効能があるのだから。(現に、背中の痛みは消え、病気も克服できている。)この世でたった一つの「救済」が「いだき」なのだから。
今までの知識知恵ではどうにもならない人間、いくら勉強してもどうにもならない世の中、少しくらい気を使っても破壊の一途の自然。ここをどうしたらいいの答えが「存在論」なのだとわかった瞬間、ふっと体が軽くなり、「認識論」や「弁証法」の網から抜けだせた。だから、昨日は最初からうれしかった。ましてや、先生のピアノを目の前で聴き、体の隅々まで、骨の髄まできれいになり柔らかくなり動き出しそうだった。高麗先生の最初の一言「正中線」という言葉も効いた!だから、やはり受講の結果、痛みが消えたのだ。
しかし、これは他者には伝えにくいことだと思う。安倍元首相殺害事件のあと、「カルト」教団や宗教に批判の目が向けられ、精神論や言霊論を懸念する人が多くなるだろうと思うと、いくら「いだき」は「宗教」ではないと言っても、分からない人が多いだろうと思うと、よほどこちらの生き方、表現力をあらためないといけないのだと痛感する。
文学も歴史も「因果律」のお花畑。経済や倫理も「認識論」の精華。勉強することは道理をわきまえること。「楽は苦の種、苦は楽の種」というではないか。この中で、「彼方から」のメッセージを聴き、そのエネルギーを取り込んで一体となって生きて行く、のは大変だなあ。と思うからいけないのだ。「大変」でもないし、「精進」もいらないし、自分の本音を、その響きを表現して、みんなと一緒に変化していけばいいのだ。ワクワクする気持ちで、今日の「言葉サロン」に臨む。ありがとうございました。

 

 

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高麗恵子スカイロケットセンターにて
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