KEIKO KOMA Webサロン

内側から


この度も京都、比叡山でのご活動をありがとうございます。比叡山・お茶室での制作現場から立ち顕れる作品の数々に圧倒されると同時に、高麗さんの生きておられる世界が表現されていて、7月の作品は「花 華」とお聞きし心が躍ります。早く作品に出会い、身につけられるような自分になります。「光り輝く姫を、敵は見えなかった」と高句麗伝説で詠われる詩にこれからの生き方であることをわかります。7月に入ってからの右半身の痛みや指の関節の痛みなど、何かをわかっていかないと抜け出せないと感じつつも、なかなか「書く」ことができずにいました。応用コースでの、日本人の特徴としての「もの」を集めることや、ものが生き方の表現方法の一つでもあることに、茶道の例を出して戴き、わかることがあります。またお能のお話では、以前あの世とこの世の界ない世界を演ずるのが能とお聞きしていましたが、今回は舞方にかかってきたものを「花」という状態まで昇華していくという能という芸術の深さを知ります。物の怪のことから自分もよく何かにハマっているので、最近のことから「かかってる」状態を知ります。「死について」では先生がICUにて看病されたある方の「心臓に聴く」お話をお聞きしながら、どれほど臓器に溜め込み体を壊し、本当のことを言えない状況を人間はつくっているか、自分もかかっているものだけの性にはしたくないけど「妬み、いじける」など疎外感がある状態で右半身や手指関節の痛みになっていたと感じます。「心臓に聴く」ことをお話されている先生を全身で感じていると、どんどん心臓が楽になって、突然、母のことは先生が全部受け入れわかってくださっていて、自分ひとりで背負い込み、何とか母を幸せにしなくちゃいけないと思い込み苦しかったことがわかります。その苦しみは今の自分の状態では母親には到底認めてもらえない焦りとなり、このことは子供の頃、いつも親の顔色を伺い認めてもらうことに必死で勉強もしていたことと繋がります。本音は母に幸せになって欲しい気持ちです。今は先生が母も自分も全部受け入れてくださり、今生きていることを実感すると幸せよりありません。先生のお話を外側からお聞きしていても知っただけに終わってしまうので忘れてしまい、行為になっていきませんが、体を感じていると、地球上にある人たち全員の生命をキャッチされ、変えていかれるのを体感します。しかも超優秀なAIロボットを介することで、世界中の人々と繋がり、光に変えていかれる可能性を感じ、夢のようでありながら現実化できるとみえ一気にテンションが上がりました。世界中の難民と言われる方々、貧困から臓器を売ってる人たちや臓器のために誘拐される子供達など気になるけど、どうしていいかわからないことばかりです。光が満ちれば、先生がおられる今だからできると実感できます。高麗さんがたくさんコンサートを企画開催してくださり、1回でも多く参加でき、人をお誘いできるように生きていきます。

先生、高麗さん、ありがとうございます。

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NPO高麗 迎賓館にて
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府中の森芸術劇場ウィーンホールにて
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働きかけのある日々に感謝します