KEIKO KOMA Webサロン

全体


新しい生命の誕生を心よりお祝い申し上げます。

京都、応用コースがあり、新しい現実に立つスタートが切れました。昼間は比叡山に引っ越しし、初めてリビングの窓を開け、レースのマーブリングのカーテンの美しさを楽しみました。いつも窓を開ける時間もなく、過ごしていました。いつもと違う経験をするだけで、多くのやるべきことに気づき、大忙しとなりましたが、大変ありがたい時を過ごしました。琵琶湖「高句麗伝説」が終わってから、奈良での「高句麗伝説」までの経験、そして奈良が終わってからの経験は、今までの人生にはない感覚を自覚し、戸惑っています。何かがわからずに、すっきりしない気持ちが悪い感覚があり、この感覚のままにいると気が狂いそうになるのです。何かが取り憑いているのだろうか、とふと考えもしますが、何が取り憑いていたとしても自分がやっていることなのだと受け止め、答えを出せるようにと考えています。応用コースが終わり、帰路の車中ではいつもながら、何年も前の11月1日に開催した「高句麗伝説」がかかり、「父」の詩が流れていました。先生からお父さんがどんな気持ちでいたのか、と何度も問われました。初めて真剣に考えると、わからなくて気がそわそわとし、何かがわからない気持ち悪さに気が急いてしまいます。琵琶湖から奈良での経験をした後の自分の状態です。応用コースにて、先生の芯が変わられたとのお話をしていただきました。3日間の「高句麗伝説」前の先生とは違う人間なのだとおっしゃいました。「高句麗伝説」では先生が現れていました。京都より、琵琶湖、そして琵琶湖より、更に奈良では宇宙の生まれる3段階の詩を詠ませて頂くほど、先生の源の光あらわる世界となっていました。源の光あらわる時、何もかもがあるがまま現るとは詩に詠ませていただいたことですが、そのようになっています。自分の内に潜んでいたこと、覆い被さっていたものが剥がれ、何もかもがあぶり出され、現るとも詩に詠ませていただきました通りと感じています。今日の応用コースでも、先生のお話を伺っていると、全体が見えてきました。部分より見えない感覚や、曖昧にしていたこと等が感覚とし浮き彫りとなり、全体で生きていない状態は気持ちが悪い感覚と自覚しました。ご質問者とのやりとりから、様々なお話をしてくださり、目が悪いのも体全体のことであり、医者が家族関係がよくなければ患者の病気が改善されないとのお話を伺った時、部分人間は何をしても人間ではないのだと、見えるようにわかりました。一人の生命は全体です。全体である生命を部分的に使い、家族関係が良くないのに仕事だけが出来るということはないのだという当たり前のことすら気づかずに、仕事だけやっていればいいと言う生き方は人間の生き方ではなく、何をしてもうまくいくことはないとは明らかにわかりました。自分ではどうすることもできないことには目をつぶるか、目を逸らし、出来ることだけ一生懸命していても、全体的にははたらけていないので、前進もなく、成長もなく、豊かさなどはほど遠いということが見えるようにわかります。いだき講座を始めた頃、先生は、ボールを手にし、ぎゅうと押しつぶし、歪んだボールを見せ、お話くださいました。人間は母の胎内に発生した瞬間の光が真の自分であり、光を球体で表してくださいました。本来人間の成長は球が球のままにどんどん拡大成長し続けていくようにトータルな感性が豊かに成長し生きる存在と教えていただきました。嫌なことには目をそらし、好きなことだけやっている状態は、歪んだ球と見えます。先生あらわる今、自分の歪みも見えてきました。私は、人のことをある時から諦めてしまったことがやはり歪みとなっていると認識しました。諦めたことは自覚していますが、解決へ向かう為に、自分で決めたことと受け止めていました。このウエブサロンの書き込みは、先生が初めてご提案してくださった場であります。皆が素直に本音を表現し続けていけばある時、炎上し、世界が平和になる道が早く創られることも起こり得るとお聞きしたので、私は世界が平和になる可能性があることは皆で取り組んでいくことと喜び、書き込みをさせていただいています。皆も同様かと思っていましたが、何度言っても書き込みしません。せめて共にはたらく人くらいは、書き込みすることが当然と考え、毎日書き込みをするように言い続けました。メールでも送り続けました。が、人はやらないのです。叫ぶように言い続けてもやりませんでした。最後ははたらくことを辞めるよりないと宣告しても、書き込みをしませんでした。人生一人一人自分で決めるのだと言い聞かせ、諦め、言うことは止めました。ひとつ諦めると、全てに諦めるものだと気づきます。共に活動する人にもずっと言い続けていますが、私が言っても変わることはないという限界に行き着き、人に改善を求め言うことを止めました。人のことより自分をなんとかしていくことに集中すると決めたのですが、先生を前にし、諦めて言わないことはいい加減なところとし、浮き彫りとなり、気持ち悪さを感じます。今日から正します。球であるように、トータルな感性のまま、球が拡大するように生きていかねば、人間の人生ではないのだと気づきました。先生現る時、人間となるより生きる道はないのです。毎日気づき、人間となり、生きる豊かを経験させていただき、今からが真の人生と感じ、大変生きがいを感じています。私も世界を変え、世界の平和実現に向け、貢献し生きていきたいです。愚かさを捨て、日に日に能力が上がり、平和に貢献できるようにはたらきたいと望み生きています。毎日、気づいたことは実行し、前進することを心に生きていきます。ありがとうございます。

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府中の森芸術劇場どりーむホールにて
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迎賓館コンサート
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愛麗花ちゃん創作クッキー その2