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光る


何事も正しく順序違えず事をなし、女御下々の者に至るまで慮り衣を持たせ、書を為す者には良質の和紙を遣り過度の事を行わず早くに出家を望み亡くなった光君です。先生は、「光源氏」の光にいのち与えてくださいました。筆者紫式部と呼ばれる世の作者も先生の演奏で少しはほんの少しは報われたことと存じます。しかし、先生の生まれた時代、今に生きておらない苦衷もありました。第二部でそれが報われる希望となったと感じられました。なぜなら彼女が書かずにはいられなかったあの時、希望は出家かあの世に託す他ありませんでした。上司である道長も早くからそれをわかるがゆえに自分を批判することも読み込み済みで彼女にふんだんの紙を与え式部日記を書くよう命じたのです。道長は後世、先生がこの世に現れ当時を彷彿とさせるような演奏して下さることを分かっていたのでしょうか。藤原の世にあり権力の頂点にありながら人間の世の仕組みを分かってしまった者はあはれです。出家か死か選択肢はなく、そのようにがんじがらめの世であっても、今も読みつがれる物語が書かれたことを有難いと存じます。
第二部のメッセージに救われ、今日を始めました。24通のお手紙を出し9月は28日の大団円を経て講座に向かいます。いだきしん先生、高麗様、皆様。いつも、本当にありがとうございます!

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