KEIKO KOMA Webサロン

光の鳥


子供の頃から目に見えない世界が見え、見えたままに現実が起こることが恐ろしく、見える自分を否定し恨んできた名残が未だにあります。今も見えていることを極力表現していますが、見えたままに起こる時は起こってしまいます。その都度、見えているのに何故防げなかったかと自分を責め、苦しみます。いい加減このことで葛藤し自分を苦しめ生きることは終わりにし、生まれ持っての感性を活かし生きていきたいと真剣に取り組む毎日となりました。同じパターンを繰り返す事も嫌気が差し、その苦しみは生きていることが嫌になる程であると気づき、人間はパターン化されることは生きていけないことを身にしみました。語る会にて先生から講座にてたくさんの情報を聞いているのに、表現できないと脳梗塞や脳軟化症になってしまうとのお話は恐ろしい現実と受け止めた時、同じパターンの繰り返しはやめたいと切望しました。先生の特別講演会でも語る会でもお話があったDXのお話がありました。生命かけてみつけられた生命の音「あ」の音のお話から、「い」「う」「え」「お」とお聞きし、頭が「お」であり、デジタル化も「お」から行われたら大変になるとお聞きした瞬間、生きていけないと感じました。真剣に生命の音をみつけねば生きていけないと身にしみました。せめて生命に偽りなく正確に表現していくことを真剣に考えます。

全てが終わり、家に戻った時、これ以上生きていけないと気が狂いそうになりました。今まで経験したことがない感覚に不安を感じました。紙とペンを持ち、外へ出ると、「自由奔放に生きていきたい」と心の中で叫びました。すると、目の前の空は盛岡に着いた夜に見えた闇は晴れ、新しい光の世界が現れていました。そして神秘的な輝きを放つ、神の鳥が現れました。見たこともない光を放つ、光の鳥と見える神々しい姿に畏怖を感じ、ただただ驚きました。目の前の森は光の森となり、見たこともない光の風景が現れました。光で創られたある形は見えますがその形を的確に表現する言葉をみつけられませんでした。が、驚く光景であり、生まれて初めて見る光景でしたので、驚き、面白く、限界と感じたことが吹っ飛んでしまいました。何が限界かは自分では見えています。意識的に変えることは出来ずに、限界と感じていながらも繰り返し行ってきたことが吹き飛んでくれたようです。神経を張り詰め頑張ってきたことが切れ、これから心より望む世界の平和実現への道をもっと早く切り拓いていけると感じています。

東北センターでの初日の「死について」の時、お腹の底にあった情けの縁と表現したい線が見えました。目に見えないところでつながる情けの縁と見えました。この縁は切ってもいいのだと在る瞬間わかり、お腹の底にあった線が消えていったのです。私にすれば生きている間に切れることがあるのかと驚く経験でした。少し前の講座にて物を捨てると縁が切れるという内容のお話をお聞きしてから、必要ないものは捨てるようにしました。生きていく上で必要なことをせねばならぬと甚く感じています。余計なことをし身を痛める生き方もいい加減やめねば生きていけなくなると感じていました。「死について」のお話を伺っている時、何がいるもので、何がいらないことかが鮮明に見えた瞬間、いらないものが消えていく経験を何度もしました。やめたくてもやめられない癖や習慣をなんとかしたいと考えていましたが、このように消えてくれる瞬間が訪れたことに驚く経験からはじまった東北センターでのこの度の催しでした。最後は過去からひきづる限界が切れ、神の鳥に出会うとは想像さえしませんでした。自分を反省し正す気持ちで紙とペンを持ち外へ出たらこのような見たこともない光景で受け容れていただき、生きていく勇気を頂きました。ありがとうございます。

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