KEIKO KOMA Webサロン

先生のはたらき


昨夜は、生霊、亡霊に取り憑かれたような夜でした。寂しさ、悲しみに泣きました。泣いていられないと考え、生まれるままに詩を書き、文章を書き、来週からの琵琶湖、京都、奈良での「高句麗伝説」に向かう動員のはたらきかけに配布する「高句麗の風」新聞の原稿を書きました。夜も眠れずに、起きても背中、肩、首の後ろが何かに取り憑かれているように苦しく、がんじがらめの状態でした。先生焙煎五女山コーヒーを淹れ、先生が作られた器にていただくとまるでバキバキと音が聞こえるように取り憑いていたものが剥がれていきました。また、岩手県雫石の駒ヶ岳が見える畑に取り付けさせていただいたサウンドシステムから流れる先生の音を聴いた玄米を頂きました。コーヒーと同じに体が熱くなり、私がかぶりと呼ぶ状態が改善していきました。先生の働きがある食べ物も飲み物も、真に先生のはたらきと感激し、心から感謝します。取り憑いているものから解放されると、何に取り憑かれていたかも見えはじめ、次第に表現し始めました。人の文章や写真からはその人の生きている状態がそのままエネルギーとし発しています。この世の中は亡霊の残骸がうごめいていると感じるエネルギーばかりで、そのエネルギーを感じると、寂しさ、悲しみで胸が痛みます。嘘つきの文章は私には一目で嘘つきと見えます。詐欺ではないかと見える文章もあります。法的には詐欺ではないとしても詐欺まがいの仕事であると見えます。人間の生命も内面も綺麗になることが良い世の中を作るとは改めて考えました。嘘つきや詐欺師に騙されない人間ばかりであれば嘘や誤魔化し、偽物は通用しなくなります。内面を綺麗にし、鏡を磨くように、常に自分を高めていくことが大切と先生がお話してくださったことを思い出します。内面が綺麗であれば、それもよく磨かれた鏡のようであれば、人の内面がそのまま映し出されるようにし見えます。内が美しい事が、曇りを引き寄せないことと見えます。私には悪魔が毒を盛っているように見えることがあります。生命のはたらきに反する言葉は黒く見え、悪魔に動かされている人が発する言葉は毒を撒き散らしているように見えてしまうのです。私から見ると、悪魔に毒を盛られた人は、いだき講座、コンサートに来れなくなります。先日のアントレプレヌールサロンでは先生がこのような人のことを助けないと宣言されました。その後、怒濤の如くに、抜け出し口を求めるたくさんの魂、霊魂が押し寄せてきました。先生の言葉は空間を通し、存在するものに聞こえていることをいつも経験させていただきます。悪魔にひっかからないように。。。と今日は、ビデオ講演会でもサロンの場でもお話させていただきました。自分の内に曇るものがあれば引き寄せてしまいます。内を清めることが答えです。毒を盛られたら、生命落としてしまいます。思い起こせば、昨年末頃よりこの表現を使うようになりました。それはその場面が見えるからです。今この時は悪魔に使われたり、引っかかっていたら、死ぬよりなくなってしまうと見えたので、今日はこのようなことを表現させていただきました。最近のコンサートでは私には悪魔が生き絶える音まで聞こえるのです。人間は内面美しく生きる存在です。悪魔に関わっては生きていけない時代となっているのです。どこまでも心は美しく生きていくことが生きることとわかります。先生のように生きることがこれからの人間の生き方と身にしみ感じる毎日を生きるようになりました。先生の存在があらわるとはこのようになるのか、と日々、目が覚め、生き方を改善し、新しい人間としての生き方を身につけていく毎日です。先生のように、何をも乗り越え、何もない状態を見出し、愛に生きるが故に、助けないときっぱりと言える人間となることを深く考え、目指していきたいと望みます。自分の内には同情が曇りとなりあるので、生霊や亡霊をかぶってしまうのだと見え、過去の生き方を完全に変えていかねば生きていけないことを身をもって経験しました。何面は何もなく美しく生きることを完全に身につけていく時と肝に銘じ、取り組んで参ります。

上映会サロンでは9月13日に盛岡にて開催しました「高句麗伝説」を見させていただきました。美しいホールが映し出されただけで、素敵と感激し、ここが生きる場と安堵しました。演奏がはじまると、異空間がたちあらわれ、一挙に生きている世界が変わります。ここが人間の生きる世界と生命をもって感じました。ずっとここで生きていければ、私は生き延びていけると実感します。途中は、行き場のない苦しみやこの世の中どうしようもない、と甚く感じてしまう限界に苦しみました。なんとか抜け出したい気持ちでいると、北の大地の魂の詩を読み始める場面となりました。魂の風が吹いています。先生の演奏は涙よりありません。そして私の言葉は私の生命とひとつでした。演奏が聞こえ、言葉を聞くと、限界にある苦しみが的確に表現されていくのです。まるで的に矢が当たるように、苦しみに光が当たり、苦しみは溶けていきます。そして「はるか彼方」と言葉が聞こえた時、ここが生きる世界と驚喜し、胸打ち震え、歓喜の波は全身に広がります。生命とひとつの音と言葉によりはるか彼方の世界に飛翔でき、救われました。夜中苦しんだ生霊、亡霊の世界から一足飛びにはるか彼方へと飛び立ちました。ここでより生きていけない人間です。演奏と言葉がひとつになり生命と一つである時、涙と共に自分のやるべきことが見えてきました。鮮明に見えれば見える程に涙こみ上げ、悲願を実現していくことが生まれてきた意味を実現するとわかります。

盛岡の美しい風景、銀河が見えるどこまでも澄んだ美しい空間が愛おしくてならず、明日にでも盛岡にてコンサートを開催したいと望みました。来年1月22日の盛岡でのコンサートが待ち遠しいです。

内面を綺麗にし、鏡を磨くように、内面を研ぎ澄まし、真を写し出せる人間となれるように努めます。先生がおられるので、私は世界に向かい動いていけます。世界に必要な活動なので、おおいなるはたらきかけに満ちています。予想をはるかに超えた展開に恵まれ、奇跡を見ます。自分のやりたいことをし、能力を活かすことだけでは、生きる意味はなく、やりたいことが、また能力が世界の為になり、確実に人類の未来を作る力となってなければ生きていることが虚しくなります。ここは、何をしても世界の平和への道を作ることにつながり、人類が未来永劫生きていける世界を作り上げていく場であります。ここで生きるより人間は生まれて来た意味も生きる意味もない人生となってしまうと今この時になれば鮮明に見えています。人にお会いすること、働くことすべてが、人類の未来と世界の平和の為になっているということを生命でわかることが出来、生きていてこれほどありがたいことはないと感謝ばかりがあふれてきます。言葉は偽われません。未来が見えなければ、未来と書いても偽りとなります。誰もが真を見極め、真が生きる力となることを経験し、真の時代を実現する人生を生きていけますことを望みます。

明日は午後7時半より、六本木地下ギャラリーにてビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。

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京都コンサートホール 大ホールにて
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白いコーヒー
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お茶室にて