会を休む発言について
「詩の朗読会」を一旦休憩しようかと思う。理由は、ぼくの能力の問題で、詩の創作が発展しそうにないと、と思うからです。
月に1回、オンラインで、自作詩の朗読とコメントの集いを、もう18回も続けてきていて、お互いに意義を共感出来ていたと思っていたが、その先導者だった仲間がこんなことを言ってきたので困惑してしまった。日々の思いを詩として書き出し、伝え合って、共有することは、何でもないようで、自分の在り方を確認できる良い機会だという思いが、やっと浸透してきたと感じていたところだったので。文学的評価より、詩言葉にする行為と朗読に重点を置いて考えていたので、「詩の創作能力」などと言われると、見当違いのようにも思えて。かれは、締め切りギリギリまでにならないと物が書けない人のようで、そんな自分にいや気が指したのかもしれない。現に、今日は、「少し唐突な発言だった。もう少し考えてみます。」とメールがあった。
吟遊詩人や詩集をたくさん出している詩人だけでなく、もっと素人が、普通の市民が、気軽に、喫茶店で、詩の朗読会をやるような文化(中近東にはまだあるようだが)が根付いてほしいものだ。また、ミュージシャンやプロの演奏家だけでなく、もっと素人が、普通の市民が、気軽に、喫茶店で、歌の集いを行うような文化(70年代は、そういうフォークソング・ムーブメントがあった。)が枯れ果てないようにしたいものだ。音痴とか技量の有無とかを越えて、本音を共有し合うような活動を、わたしは続けていくつもりだ。ーーだから、自分の能力云々で休憩するなんてありえない。参加者じゃなく共働者を、わたしは求めている。