KEIKO KOMA Webサロン

五女山


Photo by Keiko Koma

神聖なる輝きを放つ富士山がとても美しい日です。アントレプレヌールサロン翌日であることで、新しい時代が幕明けたことを伝える白銀に輝く富士山の勇姿です。そして今日も応用コースがありますことは特別のことと感じ、直前となりましたが、お手紙も「高句麗伝説」の原稿も間に合い、配布できましたことはうれしいことでした。狛江エコルマホールは長い間の改修工事が終わり、やっと使用再開できました。なんと言っても、生命の農業市場の賑わいが活気があふれ、楽しい空間です。山元町からの先生のサウンドを聞いたいちご、青森、山梨でサウンドを聞いた野菜、果実と、先生のサウンドを聞いたお野菜や果実をいただけますのはこの市場だけです。低糖質のキッチンラボのお弁当や笑美ちゃん、愛ちゃんの低糖質幸せケーキ、クッキー、東京高麗屋、結工房、八坂「高麗」コナールさん、の全てグルテンフリーのパンやお菓子、スカイロケットセンターの心模様作品等々、いだき講座を要に生き、豊かに暮らしていける食、衣類と明るい市場です。

 ピアノ演奏はコンサートと感じ聴き入りました。風が吹いていました。この風はおおいなる存在の風と感じ、幸せを感じます。お話はKEIKOKOMA`カンファレンスに参加された方がいだきしん先生のお働きについて質問されることからはじまりました。私は先生といだき講座をさせていただき、受講生の方がおいていった霊魂を整理することも先生と朝までやっていましたので、運命の因子が解放されていくことが見えわかりますが、人は同じにわかることはないのだということを改めて考えました。見えてわかり、運命を解放されるその場に居る私はもっと表現していくことが必要だと考えはじめました。これからは実行していきます。先生がマイナス因子を身に受け、人と一体となり、苦しみを変えてゆかれる時の体の中は原子炉のようだとの表現に頭を垂れざるを得ません。なんということかと、言葉を失います。人の苦痛が体の中に入ってきたはじまりの時、電車の中で具合が悪くなり、阿佐ヶ谷の河北病院に運ばれたことは私はお会いしてまもなくの頃、河北病院にいると先生からお電話をいただいたことがありましたので、知ってはいましたが、その時も強い衝撃を受けたことを思い出します。先生のお体が変わり、先生にはたらいておられるエネルギーは常に新しくなり強くなり、今はいだき講座2日目を3時間で5名様の運命の解放ができるのです。先生と先生にはたらいているエネルギーはどんどん変わっていることの証と考えます。いだき講座を始めた頃、春先になると私はひどい花粉症に苦しみました。先生も当時は私と同じような症状でした。テッシュペーパのボックスを一日二箱づつ位使ってしまう程、くしゃみ、鼻水がひどかったのです。愚かながら私は私と同じ状態の先生がおられることで、精神的には楽であったのです。ところが先生は翌年には治っておられました。私はどんなに願っても生き方を変えても治ることがありませんでした。先生はすごいと大変驚きました。同じ症状であったのに、完全に治っていました。私が治りましたのは、随分経ち、10歳の頃の本音「世界を変える」を思い出した時です。10歳の頃よりアレルギー体質となりましたことを思い出し、考え始めたのです。本音を取り戻すことはすごいことと経験しています。年々良くなってきたのです。先生はなんでも真剣に治すことに取り組まれますので、直ちに治るようにご自身を変えてゆかれることが真にすごいことと今日のお話をお聞きしながら、真剣に生きるとは先生のように生きることと生命をもってわかりました。半端な生き方が許されない時代となり、先生の生き方を皆で学び、真面目に健康で幸せに生きていけるように取り組んでいかねばならないと考えます。先生のお体が原子炉のようになりながらも、私たちの運命を解放してくださいました。いだきで生きることは生命ひとつで生きることです。簡単に外れることなど人間としやってはならないこととはいつも感じていることですが、今日も改めて甚く感じました。人間になられば生きていけないのです。

 先生が五女山のお話をしてくださると真に五女山に居るようです。私はうれしくてたまりません。優秀であった高句麗人を表現してくださるとのお言葉には高句麗人の魂が輝きを放っている光景が見えました。魂は報われます。厳寒の五女山では、人と人が体を寄せ合い温め合い生きてきたとのお話も今ここで生きているかのようで、胸熱く涙となります。このように生きることがこれからの時代に必要なのだとおっしゃいました。真にそうなのだと深くうなずきました。いだきで生きることと同じです。世界でこれ以上ない人間としての生き方ができ、何があっても揺らぐことのない関係で生きていけるのに、女か男かにひっかかり、人間として何が一番大切であるかまでも忘れてしまうことには私も長年理解し難いことと感じてきました。愚かすぎます。やっと40年目を迎えます来年を前にし、「時は来た」と先生がおっしゃることは目に見えてわかります。やっと時が来た今、外れていくことなどやってはいけないことです。皆で力を合わせ、人間が健やかに生きていける世界を作っていきたいと強い気持ちが生まれます。21日の「高句麗伝説」は万難排してどころではない、こういうのを感じないのはどうかしているとのお言葉は痛快で聖邪を分けます。人間とし当たり前のことを当たり前に言えることは生きる力と感じます。ありがとうございます。

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