人はどう生きるのか
帰路に着くとまた一段と花が大きくなり、太陽の昇る方を向いている向日葵に顔を上げ、見るだけで元気をもらいます。先日の応用コースの話を受けて、今日、関わる職場での自身の気持ちはもう今までとは打って変わってしまっていました。ぱっと見で頭の賢そうな子、やる気のまったくない子も、「将来、男は働き続けなければいけないのだ」と、講座でお聞きした言葉が私の脳裏を横切り、頭のよい子は高いお金で雇われ軍需産業の中に取り込まれてしまうのか、勉強のできない子は、他より給料がいいからと見通しをつける術も持ち合わせないままに、戦場に出てってしまうのか、と言いようのない不安に駆られたのです。懸念を抱いたのです。などなど、無邪気で純粋な子どもたちを見ていると、今まで考えなかったこれからのことが、よけいな妄想となり自分を襲ってくるのでした。家ではゲーム脳に侵され、「死」を簡単にとらえてしまう感覚、なんでも簡単に操作できてしまう現実は、真の現実とはかけ離れていること。そのすり合わせが十分にできない内に大きくなり、簡単に闇にひっかってしまわないように、大人がどのようにかして、子どもたちを守ってあげなければならないと、それには、今から何を備えていくことが必要であるのか考えている今です。日本にアントレプレナーが必要だ、と何度もお聞きする言葉が、ここと結びつき、子どもたちが自分の資質を活かして世の中に役立つ仕事を創っていくことの集合体が、日本を豊かにしていくこと、その基本には、「人間はなぜ生まれ、どのように生きていくのか」、幼い内から大人が真剣に人生を考え、そう生きて背中を見せていくことが、子どもたちを真に目覚めさせることになるのではないだろうか、と、言葉になります。そのような本当の意味で、いい大人が、子どもたちの周りにいることが必要、と考えました。豊かな資質を狭い枠の中に閉じ込めさせ、不自由な子ども時代を送ってきた自分に問うているのだと、しかし、いだきしん先生と高麗さんに出会えた人生は、古い体を脱ぎ捨て、大それたことはできなくても、新しく生きることで、子どもたちとともに生きる空間に、なにかしら希望あるシグナルを送っているに違いないと感じる今です。ありがとうございます。
