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事件の目撃


業をなくし生きていくわたしたちは、ただ『素敵な人になる』とか『高みを目指す』ということとは別に、これまで過去に見てきた以外の景色を多く見せていただきながら新たな人間となっていきます。一般的な衝撃的一場面だとしても過剰に反応してしまうときは、自分の中にもなにかしらあると学び、それが何なのかと考えます。

ある事件を目撃した私の中に、被害者を傷つけたくない気持ち、守る気持ち、自分もうっかり美しいものに心浮かれ勘違いをし加害者側にならぬようにと心する決意など、まずあります。花は正しく慈しんでこその花であり、その慈しみ方を学ぶためにいだきへ馳せ参じております。加害者の美しいものへの曲がってしまった希求や、それにより真を映せぬ眼の悲しみに、罪を犯すまでこじらせる前になんとかできる社会作りの必要を芯から感じます。犯罪が暴かれて終わりではなく加害者が死刑になっても報われないのが現実です。今流行りの『スッキリ!』分かりやすいものであると考えがちな、『イイネ!』や単純化されている脳味噌による浅いものではないもう少しまっとうな社会であれば、いつの時代も犯罪はあるとはいえ、その中でも思い込みや見当違い、人のことを感じ取れない原因による率はゼロにはならずとも下がるのではとは考えます。そのような事件を目撃したとき被害者の方またご家族へは、真実でないものを投影され命と女性性を乱暴に扱われる痛みを長期にわたり受けてこられたこと、この度は大変ご愁傷様でしたと頭を下げるよりなく、根本的に悲惨な構造を変える意図を持ち生きる必要を本音の中に見つけます。

90年代から『メール』という文化が現れ、それまで明るみにでなかったものが顕れるようになりました。その中に、若いOLさんが二倍以上も年上の異性の上司からもらうやっかいなメールの問題などありました。そういう上司へはなかなか女性側の真意は伝わらず、伝わったとしても、男性側に権力があるので、結局OLさんのほうが職場を離れなければならないなど、同情せずにはおられない展開があふれていました。いまは更に時がたち、メールだけではなくラインやメッセージなど、その頃の何倍も輪をかけて事件の起きやすい社会であることを鑑みます。

同時にこの事件の明るみになったときに自分の中に存在した『いたたまれなさ』について感じ考えます。『おとうさんの機嫌が悪くなると、あとで大変なめにあうのはお母さんと私』みたいな感じがあり、うちの実際の父は怖い人でないにもかかわらず、歴史的因子にはそういった、男性の有様がいかに酷いものであったとしても、指摘せず刺激しないことで場を穏便に済ませたいような、ねじれがあるのではないかなと仮説をたてました。『どうせ言ってもわからないから・・・』と、とにかくなだめるよりないと震える反応は、これまでの時代であれば超えることのできなかった限界であります。単純に場の空気を壊したくない本能というのもあるかもしれませんが、高麗さんのビデオ講演会でお聞きしたように、壊れるものは壊れるよりないのだとも感じます。あと、先に書いた上司の方などが、気付きにくい社会構造もあります。面倒だとたいていの人はおだてたりするので、それが重なると、ものごとを都合の良いように解釈しやすい性格となってしまうことがあります。わたしは女性ですが声と態度の大きさからか、にわかに権力を持ってしまうことがあり、そういったようにおだてられて気付くべきことに気付きにくい裸の王様になる因子というか性格というか癖がある(因子として過去『あった』のだと言い切れたら良いのですが、いまも本人である私の気付かないだけで癖はまだあるかもしれないところが恐ろしいのです)ので、それ故に当たり前のことに気付けなかったり、自己イメージとはかけ離れているであろう幼稚さを展開してしまったりする気の毒さも、まるで我がことのように過剰に感じてしまったと考えます。50年後、100年後、1000年後の未来の人達は、こういうものを感じることなく、それぞれの本質を発揮して元気に生きる世の中となるよう、現代に自身の身という駒を置くには、どこの配置が最も良いのか、そしてそこでどうするのが最も良いのか、体という全体に問います。

じつは応用コースと迎賓館のオンデマンドにかろうじてお申し込みをさせていただきましたが、その2日間は重いものがのし掛かり復活できないのではないかという廃人でした。でも子宮の感じに偶然触れ、あとから迎賓館の演奏についてお聞きし、私の感受性もまだまだ大丈夫だ、あんたまだ大丈夫だよ、と自分で自分に話しかけ復帰できましたこと、ありがとうございます。

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