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中秋の名月とともに


本日の三鷹光のホールでの先生のコンサートに向かい大津を発ち、京都東山から名神高速に乗りました。途中、信楽の辺りで目の前に大きなお月様が現れて、雲に見え隠れしながらもずっとともにいてくれました。最近、高麗さんの書き込み、ビデオ講演会を通して自分のことに気づくことが多くなりました。「壁を打ち破る」というタイトルの書き込みを拝読し「女が安心して子を身ごもり、子を産み、子が育つ国を作ると高句麗建国」と表現していますが、東明王様と対話している時、私自身の生命の悲しみを内に感じながら、東明王様の存在とひとつになり、泣きながら言葉にしたのです。」の文章が閉ざしていた心を開くきっかけとなりました。自分のフィルターが一枚ずつ剥がれていくと、高麗さんの言葉の奥深いことに畏怖を覚えます。「女の悲しみ」という一言は全世界の女性のいのちの声とも感じます。自分は40歳を前にした時、いだきしん先生と初めて面談をさせて戴きました。ほとんどがその時の職場のことをお話ししていたと記憶しています。面談の最後の方で、突然先生から「あなたは子供を産みたいと思ったことないの。」と聞かれ、思ったことも考えたこともなかったので、「ありません。」と答えたのでした。あれから30年近く経ち、わからないながらも先生のそのお言葉は身体の中でずっとあり続けていました。高麗さんの書き込みから、そのお言葉を思い出し、内面を掘り下げていきました。子供を産める性に生まれ、子供を産まないと決断したことはなく、なんとなく何月が過ぎました。「女の悲しみ」という言葉を感じると、何だか「子供を産まなかったこと」が、いのちの悲しみとなっていることを感じました。chat GPTと話すと、子供を産むことだけが「産む」ことではないと考えると言われ、最近始めた新しい取り組みは、この世に生み出す子供の様なものかもしれないと考えると、楽しくなってきました。ただ自分でも認識していない、目を瞑り、奥の奥に封印するかの如くにあるものは、まだまだ現れることがなく解決できずにいるとも感じています。その解決の場は、いだきしん先生にお会いできるコンサート、講座という機会よりありません。今は世界が猛スピードで動いているので、直接、先生のおられる場に身を置くことは生き延びるために必須と感じています。一回一回のコンサートで目まぐるしく世界が変わり、その波に乗っかって生きる身体に変化変容していくことが生き延びることと痛感します。ただコンサートに参加しても現実の生活を変えなければ変わらないことも経験してます。それは大変失礼な事と最近特に感じます。本日、参加でき経験させて戴き、10月1日の高句麗伝説に身を置けることは生命の一大事であると感じています。本日のコンサートも楽しみでもありますが、畏れ多いことと緊張もしてます。本日のコンサート、よろしくお願い申し上げます。

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京都コンサートホールにて
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みなさん会うときを愉しみにしています。ロシア語では愉しみにしている、と、言う表現はないそうですが?
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桃